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東芝上場廃止問題で問われているのは何か    (東証の頭痛)

2017年4月13日(木) 17℃ 晴れ時々曇り108.935¥/$

 

東芝債務超過の瀬戸際で揺れている。

 

東京証券取引所は、この巨大企業の株式の上場廃止を巡って頭を悩ませている。

 

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日々の新聞を読んでると、やけに複雑に見えるが、問題の根本はいたってシンプルである。

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企業というのは、株式という形と借金という形で資金を外部から集めて、それによって投資を行い、利益を生み出すという仕組みである。これは、現在、地球上の大多数の人々が生活する資本主義という仕組みの中核を占めるものでもある。

 

投資によって獲得された資産は企業の貸借対照表の資産項目に計上される。

 

会社の資金調達と投資(その結果として企業が有することになった資産)の現状を定期的ににまとめたスナップショットが企業が四半期ごとに開示する貸借対照表である。

 

債務超過というのは、その時点での総資産から、元本で返済する必要のある総負債を引いた金額がマイナスになっていることである。

 

具体的に考えてみよう。ある会社が100億円の資金を調達して事業を行っているとする。80億円が銀行ローン。20億円が株式発行。

 

そしてこの資金で、オフィスを借り、社員を雇い、研究開発投資、工場投資を行う。その結果、立ち上がった事業が利益を生みだし、それを長年継続した結果、総資産が120億円になっていたとする。

 

帳簿上の価値額で資産が売却できるとは限らないが、とりあえず、資産をすべて売却すれば、120億円の現金が手元に残ると考えよう。

 

ここで会社を畳んだら、全資産を売った金額120億円から、銀行に80億円を返した後に、40億円のお金が残ることになる。これが株主の取り分ということになる。

 

この状況で会社を畳むものはないだろう。

 

東芝の置かれている状況は、監査法人が推定した総資産の価値から総負債を引いた金額がマイナスになるということなのである。

 

これだけでも大問題だ。これに加えて、東芝の会計士は、この会社の財務諸表上の数字が、会計のプロから見て、適切であるという意見を表明することができないと言っているのである。

 

これに先立つ、粉飾決算スキャンダルの主因とみなされている、社内の内部統制が改善しているという確証を会計士たちが持てなかったのだ。

 

今、会社を畳んでも、株主はおろか、借金すら返せないということが債務超過である。これだけでも大問題である。しかもこれだけの巨大企業なのだから、影響は甚大である。

 

しかし、監査法人が会社の財務諸表に適切な意見表明ができないということは、それとは違う次元の深刻さなのである。

 

株式市場というのは、監査法人という第三者のプロが、会社が作成した数字を精査した結果、開示される財務数字が正しいとみなしたという前提で、その会社の評価を行い、売買が成立している。

 

そもそもの数字に信頼性がないのならば、どうして投資家は、リスクを取ってその株式を売買できるだろうか。

 

東京証券取引所の上場ルールの根幹にあるのが、財務数字の適正性なのである。そしてこの適正性を担保するのが監査法人という組織の任務なのである。

 

現実には、このルールは、あらゆる企業に、平等に適用されているわけではない。

 

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巨大企業であること、社会的影響等を勘案し、中小企業には峻厳に、大企業には甘目に適用されていると言わざるを得ない。中小企業は形式基準で裁かれ、大企業には実質基準で判断するというようなことだ。社会的影響度を考えれば当然だという意見が存在するのも知らないわけではない。

 

東芝の経営陣による最初の粉飾問題も、メディアは、粉飾という言葉を使わずに、不適切会計処理という曖昧な表現を使い続けた。これが新興企業だったなら、一言、粉飾決算と指弾されたはずだ。

 

たしかに、巨大企業の倒産というのは、多くの、悲劇を巻き起こす。その意味では、慎重でなくてはならない。

 

しかし、繰り返しになるが、資本主義というものは、企業の財務数字を信頼して、事業資金をリスクを取って投資する人々の、市場というものに対する信頼によって成り立っている。

 

個別企業を取り巻く事情とは、一つ次元の違う原理が試されているのである。

 

東証東芝に対してどのような対応をし、今後、この会社がどのような運命をたどるのかはわからない。それに対して、軽々に私見を述べる気はない。

 

今回東芝は、監査法人が適切であるとお墨付きを与えることを拒絶した財務数字を会社が対外的に発表した。株主よりはとりあえず、銀行などの貸し手を意識した経営判断なのかもしれない。これを一概に否定することはできない。

 

その結果、依然として、東芝株は市場で取引が続いている。今後、市場に新しく入ってくる投資家は、会社が発表した、この数字を参考にして売買を行うことになる。

 

東京証券取引所が、諸般の事情を「忖度」して、市場における東芝株の売買を排除しないという判断を行うということは、この会社発表の数字が、結果、適切ではない場合のリスクを取るということを意味するのだ。

 

東証は、株式市場というものの根本の原理に抵触するリスクにさらされることになる。

 

すなわち、日本市場そのものに対する疑義、とりわけ、安倍政権成立後も、常に日本株を売り越してきている個人投資家の市場に対する信頼を裏切ることによって、生じる、深刻な悪影響を引き起こすリスクが問われているのである。

 

連鎖倒産、失業者の増大、日本の技術の流出。東証の目の前には、「忖度」しなければならない様々な事情が積みあがっている。

 

しかし、東証は、自らの存在意義、今、我々が肯定している資本主義というシステムの根幹を占める、市場、企業の原理を問われているのである。

より生々しいことを言えば、監査意見不表明のままの東芝の決算数字の開示後に、東証東芝株の上場を廃止しないということは、今後の売買において投資家は、東証のこの判断を根拠にするということである。すなわち、将来、今回の開示の実際との齟齬等に伴う訴訟リスクを東証が直接抱えることになるのだ。

これだけの巨大企業、海外の投資家も多い中、実は、これが一番真剣に悩まなければならないものなのだ。これまで、東証は、適正性の担保をすべて監査法人の監査意見に丸投げしてきたわけなので、このブーメランの辛さを一番痛感しているはずだ。

 

どちらを選択しても、辛い判断をつきつけられている。自らの忖度のもたらすコストをくれぐれも見誤らないことを望む。