スティーブ・ケース『サードウェーブ 世界経済を変える「第三の波」が来る』
2017年4月12日(水)19℃ 晴れのちくもり 109.661¥/$
「恰(あたか)も一身にして二生を経るが如く、
一人にして両身あるが如し」
福沢諭吉の言葉らしい。出典は文明論之概略らしいが、確かめたわけではない。
一身二生。
江戸と明治。戦前と戦後。価値観の大転換に晒される世代の宿命を一言で表している。
私たちなどは、それほど、劇的な価値観の転換にさらされたわけでもない。ただ、そうはいっても、小波のような変動にはさすがにさらされることになる。
私にとっての一身二生は、
高度成長と低成長、
PC前とPC後、
インターネット前インターネット後、
モバイル前、モバイル後、
というところだろうか。
その中でも、インターネットの到来というのは、僕の生活の仕方を劇的に変えたような気がする。
Eメールがなかった頃の、海外業務、携帯電話がなかった頃の待ち合わせ。どんどんそんな暮らし方が遠い記憶になっている。
インターネットのダイアルアップ接続時代。
昔は暗記していた、ダイアルアップの仕組みも、もうすっかり忘れてしまったが、アクセスポイントに接続したときの、あのfax送信の時のような、ホンワカした音だけは忘れない。
私が最初にインターネットに接続したときのプロバイダーはAOLだった。そのうち、日本のAOLのあまりの不便さに解約することにはなったが、あの頃の、インターネットへの憧れのようなものをAOLがすべて体現している。
トム・ハンクスとメグ・ライアンのチャーミングなYou’ve got a mailという映画の影響も多いにある。
思えば遠くへ来たものだ。
ところが、AOLの創業者であるスティーブ・ケースは、まだまだだと言うのである。
彼が書いた「サードウェーブ 世界経済を変える「第三の波」が来る」 は、若い頃に影響を受けた、アルビン・トフラーに倣って、来るべきインターネットの新しい時代を予測している。
サードウェーブ 世界経済を変える「第三の波」が来る (ハーパーコリンズ・ノンフィクション) | スティーブ ケース, 加藤万里子 | ビジネス・経済 | Kindleストア | Amazon
トフラーによれば、
『第一の波
農業革命後に数千年にわたって展開された定住農耕社会
第二の波
産業革命後の社会で、大量生産と流通によって人々の生活が一変した。
第三の波
情報社会――電子通信でつながった地球村――を指している。その世界では、人々が限りないサービスと情報を手に入れ、双方向の世界の一員となり、地理的にではなく共通の関心に基づいたコミュニティを築き上げる。』
となる。
これに倣って、ケースは、インターネットの発展を3つの段階に分ける。
第一の波では、最大の課題は、オンラインの世界にインフラと土台を築くことであり、その担い手は人びとをインターネットにつなげ、人と人をつながることを可能にするハードウェアやソフトウェア、ネットワークを作る企業群だった。
代表的企業として、彼は、シスコ、スプリント、HP, サンマイクロ、マイクロソフト、アップル、IBM, AOLを挙げている。
第二の波は、インターネットをベースに、その上に、何かを築くことが課題となった。具体的にはサービス型ソフトウェア中心の時代である。
代表的サービスとしては、ツイッターやインスタグラム。
その後、検索エンジン(グーグル)が登場し、Eコマースサービス(アマゾン)が拡大し、ソーシャルネットワーク(フェイスブック)が個人ユーザーを体系化して、大量なユーザーをひきつけた。そしてアップルがiOS、グーグルがアンドロイドを世に出して、モバイル化の動きが加速する。
『サービス型ソフトウェアのどの製品も事実上、無限に拡張できる。新規ユーザーへの対応は、たいていの場合、サーバーを追加したりエンジニアを増やすのと同じくらい簡単だ。また、アプリは無限に複製することができる。要は、新たに製品を製造する必要がない。』
第二の波のこの特徴を最大利用して、利益ではなくユーザー数というマントラで、多くの新興企業が軽快に資金を集め、その規模を大きくした。
次に来る時代が第三の波。
彼の定義によれば、インターネット製品がインターネット企業だけのものではなくなった時代である。
Internet of Everythingの到来。
『インターネットの第三の波の特徴は、モノのインターネットではなく、あらゆるモノのインターネットになるだろう。人類はテクノロジーの進化の新たな段階に入りつつあり、インターネットが生活のありとあらゆる部分に――いかに学び、いかに治療を受け、いかに資産を管理し、いかに移動し、働き、はては何を口にするかまで――完全に統合される。第三の波が勢いを増すにつれて、各産業のリーディングカンパニーはすべて破壊される恐れがある。』
こういった枠組で物事を考えていたら、彼は、新しいこの時代が、現状の第二の波というよりは、彼が大波を警戒に乗りこなしていた第一の波の形状に似ていることに気づいたのだという。
『第三の波の起業家たちは、たとえ最先端テクノロジーが活用できたとしても、テクノロジー以外のことに膨大な時間を費やすことになるだろう。私たちがそうであったように、新しいものに懐疑的で強大な力を持つ強力なゲートキーパーがいる産業に、インターネット基盤を構築する戦略が必要になるからだ。私たちが「インターネットそのものに接続すること」に取り組んだのに対し、これからの起業家は「インターネットをほかのすべてのものに接続すること」に取り組むことになるだろう。』
いくつかの具体例をあげている。
例えば、第三の波の時代に大きな変化が予想される教育分野。
彼によれば、教育でイノベーションを試みた人々は、第一の波の時代にはテクノロジーにこだわり、第二の波ではコンテンツを重視しすぎた。
『第三の波で勝利を収めるのは、テクノロジーを活用し、素晴らしいコンテンツに焦点を当てながら、コンテクストとコミュニティの重要性を理解している者たちだ。彼らが、おそらく民間企業と提携して、市場に打ち出す統合的なアプローチは数十年間話題にされていながらいまだに実現していない学習革命を結実させるだろう。』
第三の波での起業家へのアドバイスとして、3つのPを指摘する。
パートナーシップ(Partnership)
政策(Policy)
粘り強さ(Perseverance)
第三の波においては、その定義上、あらゆる産業がテクノロジー化、デジタル化することになる。すなわち物理的なビジネスと電子的なビジネスの境界が曖昧になるのである。そのため、全ての産業には、その構造を支えてきた一種のゲートキーパーのような力が存在することになる。そのため、第二の波とは違って、起業家が独力で進むという選択肢はなくなる。
iPodという新しいビジネスを拡大する際の、ジョブズと既存の音楽産業の連携がその良い例である。
先ほどの教育イノベーションでいえば、万人が教授や生徒になれる学習プラットフォームを提供するというMOOCの例。
MOOC各社は、当初の単独の消費者向けモデルから、早々に、企業向けモデルへと転換し、法人の安心を買うために、ハーバード等の一流大学との連携を試みるようになった。初めの頃、既存の大学の散々悪口を言った口の根も乾かぬ内の掌返しである。
次の政策(Policy)。
これは全ての産業が対象となるため、当然のことながら、既存構造に大きな影響力を持つ政府との関わりが不可欠になる。
第二の波のように、大学の寮にこもり切って、とにかく、モバイルアプリを思い通りに作っていればよいという幸福な時代は終わったのだ。
政策動向に通じた組織、人間との連携が、事業を立ち上げるためには不可欠となる時代の到来である。
『インターネットの波が進化するにつれて、危険要因は変化してきた。第一の波の大きな懸念事項は、技術の実現、という技術的なリスクだった。第二の波では、実現した技術を市場が受け入れるかどうか、という市場リスクだった。第三の波では、政策リスクが今まで以上に重要になる。規制にうまく対応して、製品またはサービスを無事に市場に投入できるかが、鍵となる。』
最後のP。粘り強さである。
粘り強く、しかも、相反するロジックの間でバランスを取りながらの綱渡りが必要になるのだ。
既存勢力と連携しすぎてはいけない。従来の価値基準を根底から覆すだけの、斬新さが必要になる。しかし、同様に、業界内の力学を理解し、誰と組むか、規制当局にどう対応するかをしっかり把握する必要もあるのだ。
起業の場所も、シリコンバレーのような、破壊型パーソナリティの集積地ではなく、僕たちが普通に生活する場に戻ってくるのだ。地元に存在する産業をデジタル化することが、この時代の目的となり、対象地域は大幅に広がっていく。20代のプログラマー中心から、30代の農業従事者や工場労働者、シェフなどが、自分の専門領域の問題をデジタル技術を利用することによって解決するというのが第三の波では中心的なサクセスストーリーを生み出すことになる。
スティーブ・ケースが描き出す近未来は、僕たちが今感じているところから、かけ離れてはいない。第二の波の中、国が小学生からコーディングを奨励し、目端の利いた大学生が、モバイルアプリを作り、それに若手のベンチャーキャピタルや大手の通信会社が投資をするという時代へのクエスチョンマークが大きくなってきているし、すべての産業がデジタル化するのだから、大企業、政府などとの連携ができる人材が起業には不可欠だというのも、わからないでもない。
つまりは、ここ5年ぐらいの予測、マニュアルとしては、役に立ちそうな気はする。
しかし、その分、はっきりしていることがある。
大企業、大組織中心への回帰を匂わせるということでは、あまり、面白くはないケースの立論であるが、本当に新しいものは、彼のこの予測からは、かなりズレたところから生まれてくるだろうということを教えてくれるという意味で、「役に立つ」本のような気がする。