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21世紀ラジオ (Radio@21)

何かと気になって仕方のないこと (@R21ADIO)

築地本願寺で往生ということについて考えた

2017年4月4日(火)晴 17℃ 110.698¥/$

 

また古いノートを眺めていた。

 

2011年3月6日というから、その後、僕たちの生活を一変させてしまうことになる大地震の5日前の日曜日に、僕は、神保町の東京堂書店の平積みから一冊の本を手に取った。

 

きれいな装丁のその本の書名は「清冽;詩人茨木のり子の肖像」。

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清冽―詩人茨木のり子の肖像 | 後藤 正治 |本 | 通販 | Amazon

 

著者は、ノンフィクションライターの後藤正治さん。

 

「倚りかからず」や、「詩の心を読む」など、広い読者を持つ、詩人茨木のり子のしなやかで強靭かつ、繊細な人生を静かに描いている。

 

『もはや

できあいの思想には倚りかかりたくない

 

もはや

できあいの宗教には倚りかかりたくない

 

もはや

できあいの学問には倚りかかりたくない

 

もはや

いかなる権威にも倚りかかりたくない

 

ながく生きて

心底学んだのはそれぐらい

自分の耳目/自分の二本足のみで立っていて

なに不都合のことやある

 

よりかかるとすれば

それは

椅子の背もたれだけ』

 

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1926年(大正15年)生まれの茨木のり子は、その前の年の雛祭りに88歳で亡くなったぼくの母親とほぼ同世代である。ある種のリベラルとしかいいようのない、共通する気質を、後藤が描き出す茨木のり子の人生の中に感じた。

 

天皇の戦争責任の対する発言への憤懣のようなもの、直接的な戦後左翼的物言いとは違った屈折。

 

『戦争責任を問われて/その人は言った/そういう言葉のアヤについて/文学方面はあまり研究していないので/お答えできかねます/思わず笑いが込みあげて/どす黒い笑い吐血のように/噴きあげては、止まり、また噴きあげる』

 

静かな、小さな本である。しかし、その端々に、ノートに書き取っておかずにはいられない、気持ちを揺さぶる言葉が溢れている。そして読者はその後、その揺れる感情を誰かに伝えずにはいられなくなる。大地震の後、僕は、この本を、義理の母の誕生日に、ティクナットハン師の「ブッダ伝」と一緒に手渡した。敬虔な門徒である母が、この凛とした佇まいの本の表紙を大切そうに撫ぜていたのが強く記憶に残っている。

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小説ブッダ―いにしえの道、白い雲 | ティクナットハン, Thich Nhat Hanh, 池田 久代 |本 | 通販 | Amazon

 

読む人それぞれに、さまざまな想いを喚起するのだろう。

 

僕の中で、茨木のり子の最期とその予め書かれた遺書に、ある冬の朝、一人、天に戻った父の人生が重なりあった。僕の父は葬儀は密葬で、戒名はいらないと克明に、自分の後始末について指図して逝った。

 

茨木のり子の別れの手紙。

 

『「あの人も逝ったか」と一瞬、たったの一瞬思い出して下さればそれで十分でございます。あなたさまから頂いた長年にわたるあたたかなおつきあいは、見えざる宝石のように、私の胸にしまわれ、光芒を放ち、私の人生をどれほど豊かにして下さいましたことか・・・。深い感謝を捧げつつ、お別れの言葉に代えさせて頂きます。ありがとうございました。』

 

一つの言葉、一つの意味、一つのエピソードに要約して済ますことはできない。読み手がこれまで生きていた人生の様子次第で、異なる方向へとその細い糸がどんどんと広がっていき、読者それぞれの時間の織物が編み上げられていくというような書物だ。

 

この日曜日に、築地本願寺の法要の間で、家族だけで、若い僧侶の読経の声の中、阿弥陀如来仏画に手を合わせた。読経と焼香の後の、法話で往生を語る彼の言葉を聞きながら、ちょうど読み終えた柳美里の小説の中の一節を思い出していた。


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浄土真宗の教えでは、亡くなるということは、往生と言って、仏様に生まれ変わるということなので、悲嘆に暮れることはありませんよ。

阿弥陀仏様というのは全ての命を済うと言ってくださった仏様です。南無阿弥陀仏というお念仏を称えてくれさえすれば、それだけでお前を済うと言ってくださっています。

 

済うということは真実の悟りを開かれた仏様に生まれ変わる、仏様に生まれ変わるということは、我々を済ってくださる側の方に生まれ変わるということです。

 

阿弥陀仏様のお手代わりとして、今度はこの我々を、今この娑婆で苦しんでいる我々を済うために、阿弥陀仏様より位が下の菩薩となって還ってきてくださるんですよ。

 

だから、亡くなったら終わりなんてことはあり得ない。亡くなった方は、我々が称える南無阿弥陀仏というお念仏の中で我々を導いてくださっているんですよ。

 

お通夜もご葬儀も、四十九日の法要も、亡くなった方の冥福を祈ったり、供養や追悼や慰霊をしたり、菩提を弔うための儀式ではない。亡くなった方が仏様とのご縁を我々に与えてくださったという感謝のために行うのです。

 

一周忌も同じ、一周忌という仏縁を我々に与えてくださり、お浄土で逢うことができるようになるまで、しっかりとお前たちを育て上げていきますよ、と亡くなった方が我々を育ててくださっているんですよ』(柳美里 JR上野駅公園口)

 

周りの反対を押し切った密葬には、結局、多くの人がかけつけてくれ、自分も確信犯的に父親の意図を裏切った結果、父親には戒名がある。

 

密葬と書き残して、父が、天に還ってから、13年という歳月が流れたことになる。


 

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