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故郷喪失者たち(柳美里 「JR上野駅公園口」)

2017年4月3日(月)15℃ 晴れ時々曇り

 

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上野駅から長い夜行に乗って田舎に帰るという経験は自分にはない。良くも悪くも飛行機の時代になっていたからだ。ただ故郷が北国の人間ならではの、ノスタルジーのようなものがあるのは認める。ラジオで、歌謡曲の作詞家が、「歌の核のところにあるのはノスタルジーだ。」とつぶやいていた。対象のないノスタルジー。若い少年少女が、この曲、懐かしいと連呼するあの心理。

 

人間というものは、常に、どこにあるのかわからない故郷というものを探し求めているようだ。

 

それは物理的地名によって特定されるものではない。実際に生まれた土地、生活していた土地であっても、年月が経てば、親は死に、係累は消え、家はなくなり、地縁も消える。SNSの時代と言ってみても、そこで取り戻されたかに見える友愛も、仮初にすぎず、再び時の経過の中で、昔より急激に衰退していく運命にある。

 

 

 

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柳美里の「JR 上野駅公園口」と言う小説は、誰にとっても、故郷は絶対的に失われるという人間世界の逃れえぬ鉄則を陰画のように描き出している。

 

福島の相馬出身で、今上天皇と同じ生年月日の上野公園のホームレスの人生。彼は、家族を育てるために、出稼ぎに出る。東京オリンピックなどの末端労働力として、彼らは高度成長という時代を文字通り、その腕一本で築き上げていく。歴史に名を遺すような形ではなく、同時代においてさえ無名の民として。

 

故郷の家族を支えるために、彼は故郷に帰ることができないという宿命の旅を続ける。そして、ようやくの帰郷と、数年の妻との安らかな生活の後、育てあげた皇太子と生年月日が同じ、息子を失い、立てつづけに、妻を失う。そして老境の自分を支える孫娘もまた。

 

関係性としての故郷を失った男は、再び、東京行きの電車に乗る。

 

行くあてのない彼が、たどり着いたのは上野恩賜公園。そして山狩りという「儀式」。

 

天皇家の方々が博物館や美術館を観覧する前に行われる特別清掃「山狩り」の度に、テントを畳まされ、公園の外へ追い出され、日が暮れて元の場所に戻ると、「芝生養生中につき立ち入らないでください」という看板が立てられ、コヤを建てられる場所は狭められていった。

 

 上野恩賜公園のホームレスは、東北出身者が多い。

北国の玄関口――、高度経済成長期に、常磐線東北本線の夜行列車に乗って、出稼ぎや集団就職でやってきた東北の若者たちが、最初に降り立った地が上野駅で、盆暮れに帰郷する時に担げるだけの荷物を担いで汽車に乗り込んだのも上野駅だった。

 五十年の歳月が流れて、親兄弟が亡くなり、帰るべき生家がなくなって、この公園で一日一日を過ごしているホームレス….

 

 公孫樹の木の植え込みのコンクリートの囲いに座っているホームレスたちは、寝ているか食べているかのどちらかだ。』

 

作者の意図が、どこにあるのかはわからない。福島という特定の地域の悲劇を語ろうとしているのかもしれない。しかし、そこから、立ち上ってくるのは、家族というものを絶対的に支配する鉄則である。

 

家族は絶対に滅びのサイクルから逃れることはできない。

 

かりそめの平安を、自分が得ることのできるのは、なぜか。

 

親を弔い、地縁が消えていった後に、故郷と自分を繋ぐものは、自分がそこに生まれたという物語に過ぎない。その物語は、明らかな意志を以て書き換えられることなしには命脈を保つことができない。故郷を捨てた多くの人々に、その余裕はない。

 

とすれば、住み着いた場所で、新しい居場所を作るしかない。新しい居場所を見つけたものだけが、自らの「故郷」(=居場所)を、漂白された物語の中で再生することができる。

 

出稼ぎの中で、いくつかの不幸によって、故郷を捨てた男は、そこに「故郷」がないことに気づいたのだ。しかし、この男と僕の距離はそれほど遠くない。

 

ある日、老境にさしかかって、ほとんどの人間が、自分の「故郷」を喪うのだ。

(痴呆が過酷な現実に対する、一つの慰謝になるという、救いようのないアイロニー

 

『てのひらをこちらに向け、揺らすように振っているのは天皇陛下だった。

駅側の人々に手を振っていた皇后陛下もシートから背中を離してこちらに会釈をし、きれいに指を揃えた白いてのひらを揺らした。皇后陛下のお召し物は、白や薄紅色や鴇色や茜色の散り紅葉が肩山から共衿を流れる灰桜色の染の小紋だった。

 

 目と鼻の先に天皇皇后陛下がいらっしゃる。お二人は柔和としか言いようのない眼差しをこちらに向け、罪にも恥にも無縁な唇で微笑まれている。微笑みからも、お二人の心は透けては見えない。けれども、政治家や芸能人のように心を隠すような微笑みではなかった。挑んだり貪ったり彷徨ったりすることを一度も経験したことのない人生――、自分た生きた歳月と同じ七十三年間――、同じ昭和八年生まれだから間違えようがない、天皇陛下はもうすぐ七十三歳になられる。昭和三十五年二月二十三日にお生まれになった皇太子殿下は四十六歳―、浩一も生きていれば四十六歳になる。浩宮徳仁親王と同じ日に生まれ、浩の一字をいただき、浩一と名付けた長男――。

 自分と天皇皇后両陛下の間を隔てるものは、一本のロープしかない。飛び出して走り寄れば、大勢の警察官に取り押さえられるだろうが、それでも、この姿を見てもらえるし、何か言えば聞いてもらえる。

 なにか――。

 なにを――。

声は、空っぽだった。

時分は一直線に遠ざかる御料車に手を振っていた。』

 

多くの人がこの寄る辺ない気持ちを抱えて生きている。この寄る辺なさを、そのままにして、何の支えも求めずに生きられるほど人は強くない。私たちの世界はこの「寄る辺なさ」を中心として揺れ続ける。捏造された永遠性が、この気分を搾取しようと待ち構えている。

死に場所という居場所しかないと言う事実。

痛切な読後感が残った。