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21世紀ラジオ (Radio@21)

何かと気になって仕方のないこと (@R21ADIO)

哲学館事件と道徳教科書検定問題(松本清張「小説東京帝国大学」)

2017年3月31日(金)12℃ くもり時々雨

 

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明治35年というから115年近く前、今の東洋大学の前身である私学の哲学館と文部省を巡る、ある事件が起こった。

 

10月に行われた哲学館の卒業試験の倫理の設問である。

 

「動機善にして悪なる行為ありや」

 

当時は、各学校に文部省から監督として視学官が送られていた。

隈本有尚という役人が哲学館に送られていた視学官だった。

 

出題者は講師の中島徳蔵。

 

当時哲学館などの倫理学の教科書としてよく使われていたのはムイアヘッドの倫理学(The Element of Ethics by Muirhead)だった。

 

中島はこの教科書をしっかりと読み込んで回答した一人の学生の答案に最高点をつけた。

 

その答案の採点を閲覧した隈本某なる役人が、その中にある、弑逆という言葉に目を止めた。

 

ムイアヘッドの倫理学の中におけるピューリタン革命におけるクロムウェルの行為についての評価に関する論点である。

 

『英人ムイアヘッドがここに「弑逆」という文字を使ったのは、明らかにイギリスのクロムウェルがチャールズ一世を弑逆した歴史を指しているのである。彼によれば、自由は最高の「善」であるがゆえ、それを守るという動機も善であるから、チャールズ一世のような帝王を弑逆しても咎められることはないと解釈する。』(松本清張

 

この隈本某が時代の空気を忖度して、見つけ出した手柄を使って、私学哲学館を窮地に追い込んでいくというのが、松本清張の「小説東京帝国大学」の冒頭の哲学館事件である。

 

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この弑逆と言う、天皇制に対する不穏な意味を持ちうる言葉のあるムイアヘッドの書物を使って教育を行うとはいかがなものか。いかにそれが日本の皇室に対して当てはまるものではないとしても、このような教科書をもとに育成された教師たちが、その考えを日本国に広げていくというのはいかがなものか。

 

ある意味、言いがかりに近い応酬の中で、当時哲学館の卒業生に与えられていた中等教育無試験検定資格が取り上げられるというところまで、話はエスカレートしていく。

 

『中島は、役人というものは、一般の考え以上に、ことを重大に持っていくものだと思った。ことは視学官隈本有尚のちょっとした注意から起こったのだが、今や文部省全体が官僚の事大主義にふくれつつある。』(松本清張

 

当時文科省は、小学校教科書を発行している書店が売り込み競争のために地方の学校教主や、県、郡視学を買収した事実が暴露されて、その逮捕はどんどん拡大するという教科書事件のさなかにあったのである。これに先立っても、女学校の教科書における不適切文言の見落とし等文部省は数多くの失態によって世間から指弾されていたのだった。

 

宮内庁役人の気持ちを忖度し、皇室の思いを忖度することによって、文部省は哲学館をスケープゴートにして、自らの存続を図ったのである。小説は、このあと、答案を書いた学生と、隈本某の間の隠れていた関係性などが明らかになり、下田歌子、山形有朋と、明治国家主義の闇の部分にどんどん入り込んでいくことになる。

 

小説は、「国家の大学」として指導者群を要請した、日本の近代を動かした東京帝国大学が、南北朝問題、大逆事件など戦前の数々の問題にどのようにかかわったかを描いている。晩年にかけて歴史家としての相貌が増していく松本清張のこの作品や神々の乱心等は日本の近代を追体験するためには、最も適した作品群だ。

 

文科相天下りスキャンダルと、道徳教科書の検定過程での教科書会社の忖度システムの作動ぶりを眺めていると、100年以上たっても、忖度の亡霊が成仏せずに、世間を徘徊しているのだということを痛感する。

 

文科省というこの最弱の官僚集団が、最弱であればあるほど、必死の、切実な忖度によって、精神に対する取返しのつかない暴力を引き起こしうるという仕組みに暗然となった。

 

パン屋と和菓子屋などと、その愚かさを笑っている場合ではない、その軽さと皮相さゆえに「凡庸な悪」というシステムの有効な歯車として機能しているのだ。

 

人間の引き起こした、数々の害悪は、この「思考停止」によって生み出されてきたのである。

 

教科外の活動にすぎなかった道徳が、子供たちの道徳観念の危機を叫ぶ輩によって、正式の授業となり、そして、今、当時の戦後版教育勅語を回避するという意識すらない、軽い言葉を弄ぶ人たちの輪が続々と拡大し、教育勅語を幼児に唱和させるという怪しげな組織に、国有資産を低廉譲渡し、補助金によって支援するという驚天動地の忖度にまでつながっている。

 

http:// http://digital.asahi.com/articles/DA3S12868911.html

『なぜパン屋ではいけないのか。朝日の記事に文科省の言い分が紹介されています。「パン屋がダメというわけではなく、教科書全体で指導要領にある『我が国や郷土の文化と生活に親しみ、愛着をもつ』という点が足りないため」と説明しているそうです。文科省の指摘を受け、教科書会社は「和菓子屋」に書き換え、検定を通りました。「アスレチック」も同様の指摘を受け、教科書会社が改めました。

 

教科書会社の方で「和菓子屋」や「和楽器店」を選んだのです。指示されたのではなく忖度(そんたく)した、ということでしょう。』(池上彰

 

かつて一度、私たちの過去を台無しにした、その凡庸さと、驚くほどの思考停止が、再び私たちの現在、未来を覆いつつあるのだ。