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21世紀ラジオ (Radio@21)

何かと気になって仕方のないこと (@R21ADIO)

幸福とは死に臨んで悔いがない状態(内田樹 おじさん的思考)

2017年3月20日(月)春分の日 16℃ 晴れのち曇り

 

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今日も暖かい一日になりそうだ。三連休の最後の日。今日はどんな風に過ごそうか。長年の日課となった、多くの新聞に目を通すという作業も、今日は、あんまり気合いを入れず、さっとやり過ごした。

 

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何かを続けるということはとても大切なことだし、それによって長い間に人知れず、何かが蓄積されているというのも事実だとは思うけれど、何かを続けるためには、実は、緩急が不可欠ということも忘れてはならない。

 

人生のマニュアル書の類には、どうも、継続は力なれと言うと、眦を決して、一日足りとも手抜きをせずに、というようなことが前提となっているようだが、それは、現実的ではない。

 

保証してもいいが、いわゆる達人も、多分あの王貞治さんだって、この緩急、特に緩の日々があったはずだ。というより、それでなくては、物事は続けられないのだ。

継続をすると、必ず、身体の奥底の方に重い疲労感が沈殿していくのがわかる。

 

これが一定の厚みになると体調がほぼ確実に悪化する。要するに、一定の強度で継続なんかできるはずがないのである。

 

逆に、これも保証していいと思うのだが、何の分野であっても、達人のレベルに達している人は、緩急の緩であったとしても、とにかく続けていることだけは間違いがない。

 

続けるということは、量的なものではなく、心の質の問題だからだ。

 

何の分野でも達人の域にも達していない自分がこんな長い前置きで言いたかったのは、今日は、何かのためではなく、ただダラダラと過ごすぞということなのである。

 

そんな気分で、過去のノートを見直していたら、一時期は、生きるマニュアルあるいは、気の利いた法話のように愛読してやまなかった内田樹さんのデビュー時のエッセイのこんな文章を書きぬきしていた。

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『人は幸福に生きるべきだ、と人は言う。私もそう思う。でも、たぶん「幸福」の定義が少し違う。そのつどつねに「死に臨んで悔いがない」状態、それを私は「幸福」と呼びたいと思う。幸福な人とは、快楽とは「いつか終わる」ものだということを知っていて、だからこそ、「終わり」までのすべての瞬間をていねいに生きる人のことである。そう私は思う。だから「終わりですよ」と言われたら、「あ、そうですか。はいはい」というふうに気楽なリアクションができるのが「幸福な人」である。「終わり」を告げられてもじたばたと「やだやだ、もっと生きて、もっと快楽を窮め尽くしたい」と騒ぎ立てる人は、そのあと長く行き続けても、結局あまり幸福になることのできない人だと思う。

  

幸福な人は、自分が幸福なだけでなく、他人を幸福にする。だから、私はみんなに幸福になって欲しいと思う(なんだか武者小路実篤の文章みたいになってしまった)。(「お先にどうぞ」という倫理的生き方)』

 

ようし、今日は、今死んでもいいと思う気分で一日ダラダラと過ごしてやる!