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負債感、偽善、そして希望(オランダの寛容の美徳の危機 その3)

2017年3月11日(土) 12 晴れ時々曇り

 

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12年前のオランダでも、欧州の移民についての問題はすべて出尽くしていた。

 

その後、2015年のシャルル・エブド事件や、フランスでのテロ事件と、欧州をテロの脅威が覆っている。

 

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イスラム、宗教対立というステロタイプな反応をしているうちに、Homegrownテロリズムの増殖がとまらない。

 

イスラムテロリズムをもたらすのではない。社会的不正の放置が引き起こした義憤がそれに対抗するロジックを求めるのである。キリスト教に由来する近代、リベラルな近代が、放置した現代の社会的不正をイスラムという率直な論理だけが、怒れる精神の琴線に触れたのだ。

 

ウィルダースの表層的な論理の執拗性、永続性が、来週の総選挙で何を引き起こし、それがフランス、ドイツ、イタリアにどのように波及していくのかはわからない。

 

しかし宗教的対立などという現実の否認からは何も生まれないのだろう。この記事からの10数年という月日の経過がその深刻さを物語っているような気がする。

 

オランダの寛容の美徳の危機の最終回。

 

 

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オランダの寛容の美徳の危機の最終回。

 By Roger Cohen International Herald Tribune 

 

http://www.nytimes.com/2005/11/07/world/europe/dutch-virtue-of-tolerance-under-strain.html

 

(以下意訳)

 

イスラムに対する挑戦

 

VerdonkのVVD党から政治家になったソマリア生まれのAyaan Hirsi Aliは、以前はムスリムだった。

 

911の後、既に疎遠に感じていた宗教を棄て、いまや、彼女はもっとも非妥協的なイスラムの批判者になった。そんな彼女に対して、イスラムの狂信主義者たちは殺害を宣告している。 

 

武器をもった自前のセキュリティチームに囲まれて、Hirsi Aliはオランダの首都であるハーグ(形式上の首都はアムステルダム、実質的首都機能はハーグ)にある目立たないホテルの中の秘密の住居から会見の場所にやってきた。 

 

耳には真珠のイヤリング、首には真珠のネックレスを身に纏っている。近代的な装いだが、フェルメール(Vermeer)の絵の中から抜け出たようだ。

 

「恐怖の中に生きている。時折、その感覚が私を打つ。」と彼女は言った。 

 

Hirsi Liは35歳でヴァン・ゴッホの11分の映画「服従」の脚本を書いた。 

 

この映画は、若いムスリム女性の性的な屈辱がテーマである。若いムスリムの女性と強姦魔の叔父、冷酷な夫、叱責する恋人。そしてそれに伴う宗教上の疑念。

 

今は上映を取りやめているこの映画が最初に上映されたのは2004年の8月だった。3ヵ月後、監督ぼヴァン・ゴッホは殺された。 

 

5ページにわたる「Hirsi Ali」への公開レターは死体に突き刺されたナイフをあしらっており、ヴァン・ゴッホと同じ目にあわせるという脅迫を意味していた。 

 

イスラムの性的道徳に挑戦し、少女たちが学校を終え、自分で自分のパートナーを決めることができる道を開くためにこの映画が製作されなければならなかったということに一切の疑念はない。ムスリムの移民がうまくいくためにもっとも重要な解放だと信じている。

 

子供の頃に、サウジアラビアで生活したこともある、Hirsi Aliは、個人の自由についても多くを語った。オランダは人間が作った社会であり、市民が大幅な自由を享受し、同様な自由を他者にも認めるという精巧な契約が存在する社会である。 

 

この精巧な民主主義的制度の中に、それを共有しない、参加というよりは恐怖による権力関係に慣れ、配偶者を自ら選ぶというような個人の選択には不慣れな多数の人々が流入したのである。

 

「今から私が言うことはかなり議論を呼ぶだろうと思う。私は田舎からの移民のほとんどはオランダのような国の文明段階とはかけはなれたレベルで生活をしてきている。それがこんな怖ろしい事態を生み出すことになった。」とHirsi Aliは言う。 

 

彼女はアムステルダムのRijks美術館にあるDe Witt兄弟の私刑についての17世紀の有名な絵画のことを言っている。。この絵の中で、兄弟の死体は2004年のヴァン・ゴッホ同様、ナイフで切り裂かれているのである。 

 

「信じられる?」とHirsi Aliは目を大きく見開いていった。 

 

「これは今の時代に生きている私達のやり方じゃない。そして、人々が公開にリンチを行い、個人の自由など考えたこともないような国から、大量の移民が殺到しているのである。オランダ、ドイツ、フランスは皆、大きな間違いをした。そのうちなんとかなる、、移民の子供たちも学校へ行けばリベラルで世俗的な物の見方を身につけるはず。ところがその代わりに現れたのがBouyeriだった。」 

 

Hirsi Aliは1997年にオランダ市民になった。彼女は地元の役場へ行って、300ドル払って、パスポートを与えられた。誰も、何故彼女がオランダ人になりたいのかを聞きもしなかった。「ただ旅行用の書類を買っただけよ。」と彼女は言う。 

 

何十年にもわたって、何十万人という移民が同じことを行ってきた。

 

オランダ人となることに関する契約はが公に議論されることはなかった。そんな、ある日、他の欧州諸国同様、オランダ人は、自分の社会に、見知らぬ人々がいるのに気づいたのだ。

 

「欧州全土がこの現実を否認しようとしている。こういうテロは、そのうちなくなる。残念ながら、絶対に、これはなくならない。聖なる書物が異教徒は殲滅せよと言っているからだ。」

 

彼女は続ける。

 

オサマ・ビン・ラディンムスリムピューリタンである。彼はコーランにこだわりつづける。イスラムは平和の宗教などではなく、他のムスリムとの間にだけ、平和が存在するのだ。」

 

「我々は、イスラムが極めて暴力的な宗教であることを認識しなければならない。ブッシュのようにこの暴力性はイスラム本来の姿ではないというようなふりをすべきではない。

 

ムスリムがこの国でムスリムでありつづけることを認めるならば、男女同権のような反人権的発言をやめるように促すべきだ。イスラム宗教改革を求めなければならないのである。」

 

アムステルダム市長のCohenのスタッフである市会議員のAboutalebは異例ではあるがムスリムユダヤ人によって構成されるチームを形成した。 

 

彼はHirsi Ali、ウィルダース、Verdonkやオランダの中道右派政府は間違っていると考えている。

 

彼自身は社会民主主義者で、オランダの移民に対する態度の硬化を懸念している。

 

「オランダの移民政策は様々なグループを相互対立に追い込んでいく。必要なのは「大きな我々」のコミュニティであり、100万人のムスリムがそのメンバーだと感じられる場所なのだ。」 

 

Aboutalebからするとヨーロッパの文化に比べれば、イスラム自体に問題はない。彼は、テレビでイスラムという宗教を説明するのに多くの時間を使っている。

 

最大の問題は欧州がイスラムを回避することである。

 

「何故、Cohenはユダヤであるということを疑わないのか」 

 

この運動を前進させるために、Aboutalebは過激派との戦いにイマーム(導師)たちを巻き込みたいと考えている。「宗教上の対立などはない」というのがと彼の主張だ。

 

普通のムスリムと背教的なムスリムの意見が一致する点がある。

 

オランダの教育システムに問題があるということだ。

 

とりわけオランダ人が頻繁にホワイトスクールとブラックスクールを口にすることはショッキングである。移民たちは、黒い髪の毛ということで、ブラックに分類されることになる。

 

この区別は、憲法の23条に規定された学校システムの帰結だ。 

 

この条項は両親がキリスト教あるいはその他の信仰に基づく学校に対して、政府からの補助金を得る権利を付与している。

 

さらに学校はその学校の信条を受け入れない生徒を拒否する権利がある。

 

「オランダの憲法がこの分離された教育システムを可能にした。これは驚愕すべき事態だ。」とAboutalebは言う。「キリスト民主党にとって憲法23条は聖なる法令なのだ。」 現在の政権はDCAとVVDの連立政権である。

 

変化のための努力

 

今、この連立政権は他の分野での改革努力に力を注いでいる。

 

欧州の他の地域と同様、移民は主として3つの合法的経路を取る。

亡命(Asylum),家族再会、結婚である。 

 

亡命手続きは、社会保護を受領するために何年も宙ぶらりんの状況に外国人を置いてきたが、最近、手続が厳格化し、何千もの申請が拒絶されはじめている。

 

既にオランダに住む家族のところに移住するものも、結婚するものも、そのうちオランダ語や母国の社会についてのテストを受けるようになる。親戚や配偶者を受け入れる側の年齢や年収への規制も高まりはじめている。

 

いわゆるInburgeringテスト、良き市民たる試験を通過することが義務となるのである。新しい儀式、最後には国歌斉唱で終わるものが、帰化のためには不可欠になるのである。このあたりはアメリカ的な手続きに近づいてきている。 

 

「ヨーロッパはアメリカの経験に依拠すべきであり、いまや移民の存在が国家構成の不可欠な要素となっていることを受け入れなければならない。」とワシントンの移民政策研究所の所長のDemetrios Papademetriouは語る。 

 

米国において、9人に1人は海外で生まれている。欧州ではおそらく10人に1人ぐらいの比率だろう。 

 

欧州においては必要なのは、移民を問題ではなく、好機ととらえるような国民意識の抜本的変更なのである。

 

そのためには、欧州は、これまで、すべてのメンバーに対して提供してきた完全な福祉を修正しなければならない。

 

911後の危険な世界、アイデンティティの動揺、過剰福祉の財政負担などによって、欧州における移民問題の再考が余儀なくされている。

 

オランダ等の国々で今後どんな方向に向かうのかはまだわからない。

 

Kes Van Twistは最近オランダ映画賞の会長になり、若いオランダ系トルコ人やモロッコ人監督によるいくつかの映画の中に希望を感じている。

 

祖国と、移民してきた国の両方の世界を受け入れるということは、カトリックプロテスタントで生じた和解同様、イスラムにおいても可能なのだと。

 

しかし現実の世界を覆う緊張は高い。

 

Hndelsbladの編集長のJensmaは優秀なオランダ系モロッコ人コラムニストのHasna El Maroudi(21歳)が、最近モロッコのRifマウンテンからやってきたベルベル人を、遅れた国のヤギの売買人と喩えたために、殺害脅迫を受け、コラムの発表を取りやめたことがあったと語る。

 

「これが、脅迫がもたらす、典型的な恐るべき帰結なのである。」

 

元首相のWim Kokが自転車で仕事にやってくることができた時代は、はるか昔のことになってしまった。Kokは3年前に、ボスニア・ヘルツェゴビナのSrebrenicaのムスリムを保護するためにオランダの国連軍を派遣するのに失敗して辞任した。

 

こ戦時中のユダヤ人、イスラム系移民、ボスニアで虐殺されたムスリムに対する政策の失敗という歴史で今のオランダの混乱を説明することができるだろうか。

 

答えはおそらくイエスである。

 

黄金時代の画家たちが理解していたように、この国では物事の本質と外見は一致しないのだ。

 

今日、鉄道の駅には、大きなオレンジと黒のポスターが貼られている。オランダの主要なユダヤ人組織によって掲載されたポスターには、「1940年から45年にかけて、ユダヤ人人口のほとんどが姿を消した。今度は誰の番だろう。憎悪を呼び戻してはならない。」と書かれている。もう一枚には、「ここからアウシュビッツ行きの列車が出発した。いつになった世界は賢くなるのだろう。」 

 

ハーグ駅のこの陰鬱な装飾を困惑しながら見つめていた60代の女性が近づいてきた。急ぎ足で目的地に向かいながら、彼女は「気を悪くしないでください。物事がよくなるためにやっているのですから」と私に言った。(以上) 

 

 

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