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映画 ブラックブック 裏切りの歴史とオランダ的寛容

2017311日(土)

思えば、10年以上前から、オランダというのは自分にとって気になる国だったようだ。サッカーファンとしてトタルフットボールの祖国への愛情がほぼすべてを占めていたような気もするが、それだけではない、論理が先鋭になる、ある意味、奇矯、異形な国オランダの中に、欧州の歴史の光や闇が横溢しているという予感のようなものがあった。2007年にポール・バーホーベンのブラックブックという映画についての感想を、今とは違ったサイト名で書いたことがある。

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後を引く、後味の悪さに限りなく近い、この映画の暴力性にひどく神経を逆なでされた記憶がある。いい意味でも悪い意味でも強烈な映画だった。315日のオランダ総選挙に向けて、オランダのことを考え続けるうちに、忘れかけていた自分の過去の記憶が数多く喚起されることになった。

 

裏切りの歴史とオランダ的寛容(200748日)

ポール・バーホーべンが、故郷のオランダに戻って、撮った、ブラックブックを見た。

オランダ時代の彼の作品を見たことがないぼくには、68歳のオランダ人映画作家に、ハリウッドが何を与えたのかを正確に言うことはできない。ただ、ナチス占領末期の、レジスタンス、コラボ(対独協力者)、ナチの絡んだ、複雑な裏切りと復讐の映画の中には、「氷の微笑」、「ショーガール」など、彼が、ハリウッドで撮った映画の刻印がある。

 

肉感的な女主人公に対する、いたぶるような視線は、彼の作品の中の、女嫌いを想起させる。

 

ナチス占領末期、スターリングランドの敗戦後、斜陽のナチスドイツに対して、激化するレジスタンスと、対独協力者たちの、戦後を見据えた自己保身がからみあって、誰が、誰を裏切ったかが最後までわからないというサスペンスドラマが展開する。

 

オランダのレジスタンスが正義で、ナチスが悪で、一般のオランダ人が善良であったというような、白黒のはっきりした歴史観に、悪意ある泥を投げかけている。アメリカのイラク侵攻、アメリカ軍による捕虜虐待というような時代背景の中で、ハリウッド的な娯楽映画的なけれんと、かなり露骨な政治性が、混濁しているという意味で、不思議な面白さのある映画だ。

 

映画は、戦後、1956年のイスラエルキブツのシーンからはじまる。美しいユダヤ人女性の追想は、第二次世界大戦末期のナチス占領下のオランダへと飛ぶ。元歌手の主人公は、ナチスの高官と、協力者による、ユダヤ人の富裕層の財産を狙った罠にはまって、家族をすべて殺害される。

 

九死に一生を得た、彼女が助けられたのは、オランダ人のレジスタンスの人々だった。彼らに保護されながら、彼女は、レジスタンス活動の中に積極的に参加していくことになる。主人公には、美しさという武器があった。

 

彼女に、その美貌を使って、ナチスの高官に近づき、とらえられたレジスタンスの仲間たちを助けるという任務が与えられる。(ユダヤ性を隠蔽するために、陰毛まで金髪に染めるという、この監督らしいあざといシーンがある。)自分の肉体を武器に、ナチスの高官との関係を作り、ナチス内部の仕事も獲得し、内部に入りこんでいく。そのうちに、男を愛し始める女。女の正体を知りながらも、女を守り続ける男。

 

内通者のために、とらわれた仲間の奪回作戦が失敗し、女は仲間たちからも、裏切り者と疑われるようになる。そして、ナチスは降伏し、形勢は一転し、ナチス協力者たちに対する、手ひどい復讐がはじまる。オランダの普通の人々による、コラボへの残虐さを描くあたりで、このどちらかといえば凡庸な映画が精彩を発揮しはじめる。

 

ルイ・マルの「ルシアンの青春」のような繊細なタッチではなく、コラボを攻める人々の醜悪な表情、振りかけられる糞尿など、荒々しく、雑駁に、その不快さが描かれる。映像の不快さが、おきた事実の腐臭を、ある意味、みごとに描写していた。

 

本当の内通者は誰か。主人公はくじけずに追及しつづける。

 

この映画における戦後オランダに対する批判に対する質問に答えて、バーホーベンはこんなことを言っている。

 

「終戦後、怒りと復讐の気分しか存在しなかった。その気持ちは、ドイツ人の兵隊たちに向けられるというよりは、ドイツ人に協力したオランダ人たちに対して向けられた。売春婦たち、軍で働いていた人々、実務的、政治的、あるいは金のため、イデオロギーのため、なんらかの形で対独協力したすべての人々がターゲットになったのだ。これらの人々はすべて、オランダ人によって裏切り者とみなされ、一切、容赦されなかったのだ。

 

路上でつかまり、女は、髪の毛を切られ、泥が顔になすりつけられ、糞尿を浴びせられ、牢獄にぶちこまれた。恐るべきことが行われたのだ。戦時の歴史文書にはこういったことが、大量に残されている。私が映画で描いたことより、はるかに醜悪なことが行われていたのである。Abu Ghraibで起こったこととなんの変わりもないのだ。」

 

言語も近い、オランダはドイツ占領時も占領者からひどい扱いは受けなかった。そのため、ドイツの傘の下での共存というものも、真剣に考えられたのだろう。であればこそ、対独協力というものも、十分に当然の行為だったのだろう。

 

ドイツの形勢が不利になってきてからはレジスタンスが強まり、敗戦を意識したナチス高官や、戦後におびえ、証拠隠蔽をはかる、コラボたちや、レジスタンスの中の内通者などの間で、この映画のようなことが起こったとしても何の不思議もない。

 

バーフォーベン流の粗い映画を、映画として語る気はあまりないが、その粗雑さというところに露出する、この祖国オランダの歴史に対する徹底した悪意が面白かった。それは、このオランダ的混乱が、今日現在のオランダの歴史にも明確に影を落としているからだろう。

 

 

オランダは、売春、同性愛への認容、そして移民への寛容で有名である。こうした過激ともいえる寛容さには歴史的背景があるのだ。

 

オランダ人は、自国民に対して、容赦がなかっただけではない。積極的な対独協力者たちは、ナチスの重要政策であるユダヤ人狩りにも積極的だったのである

 

ナチスの占領当初、オランダには14万人のユダヤ人がいたが、そのうちの実に75%が殺害されたという。 自分たちのすべてがアンネ・フランクを助けたわけではないことが、戦後あきらかになる中で、恥の意識が、オランダ人の心を深く支配するようになっていった。その結果、移民を批判することがタブーになっていったという。戦後の移民に対する意識は一種の償いという形で理解されるようになっていった。

 

いま、イスラムの移民の波の中で、こういった歴史的な負い目と、目の前の現実の容赦のなさの中で、歴史の中のユダヤ問題が心理的に沸騰しはじめているのだろう。それは逆撫でするという、この映画作家の悪意の部分にとても興味がわいた。

 

迫害の経験のある、ユダヤ人は、オランダ人は偽善者であると批判する。

 

「オランダ人を20人集めてみればいい。すぐに彼らは愚かなムスリムをどうやって追い出すかの相談をしはじめるだろう。でも彼らはそれを直接的には言わないだけだ。」

 

短期間で手のひらを返すように変質するのを国民性だと非難する。

 

世界は似たような愚行で満ちている。映像的な奇跡ではなく、人間の自己満足を破る騒音としての映画。それはそれなりに興味深い存在だ。(以上)

 

 

 

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