政治運動VS政党(オランダ総選挙)
2017年3月6日(月)12℃ くもり時々雨
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トニー・ブレア元英国首相が、革新的(Progressive)な中道政治のススメ(Against Populism, the center must hold)というオピニオンをニューヨークタイムス紙に掲載した。
今後の仏、独など欧州における大統領選挙が、欧州の自由民主主義の未来を左右するという危機感からの発言だ。
現状における問題点の改善を前提に、EUへの英国の残留を主張する政治運動を推進しているブレア氏は、既存の政治が、無責任なポピュリズム気分によって、極端に引き寄せられることで生じた政治空間の中心部における真空状態を危惧している。
主流たるべき中道路線が、両極のポピュリズムと野合するのではなく、まさに中心に軸足を据えた、国民の不安に適切に応える革新的中道政治のアジェンダを提示することが責任ある政治家の責務であるという至極まっとうな意見である。
しかし現実の政治は、この理念を大きく裏切っている。
フランスに至っては第5共和政成立以降、政権を二分してきた社会党、共和党から大統領候補が出ないという「革命」的状況が生じかけている。家族に不正給与を与えたというスキャンダルで、共和党候補のフィヨン氏に対する党内の批判の高まりは強く、早晩、撤退宣言がなされるのだろう。撤退せずとも、勝利する可能性は皆無というのが現状の読みである。
EUの中核と言える、フランス、ドイツの動向が重要であるのは当然だ。しかしそれに先立って行われるオランダの総選挙の動向は、国の大きさにも関わらず、大きな影響を及ぼしそうである。
欧州統合という理念を先導してきたオランダで、移民排斥を唱える極右の自由党(PVV)が第一党を狙っている。党員1名というカリスマ党首が推進する異形の政治運動が欧州の理念を代表するオランダの政治、そしてひいては欧州の自由民主主義の未来を揺るがしている。
政党というよりは異形の政治運動のもたらす未曽有のエネルギーは、ナチズムを生み出した時代背景に対するハンナ・アーレントの怜悧な分析の中に不気味な共鳴音を見出している。
『政党は、社会における組織化(つまり階級)に依存するか、あるいはみずから市民を組織するかはともかく、組織された市民の上にのみ成り立ちうるのである。 これに対して、「運動」はこうした組織化を欠く大衆の政治的動員に「政党」よりも適合的だったのである。
(中略)
階級が解体すると、利益政党であった政党が代表すべき「利益」がなくなってしまった。
(中略)
かくして、アレントの目には、階級社会の崩壊=大衆社会の到来は、政治的には、政党の時代から運動の時代への移行を不可避的にもたらすものだったのである。』
欧州の不吉な政治潮流の分析に際して、再び、ハンナ・アーレントの政治分析に脚光が浴びるということは、欧州が、ひいては私たちが、未だに解決していない、なじみ深く、執拗な問題に直面していることを証明しているのだろう。
朝日に転載されたニューヨークタイムスのディビッド・ブルックス名義のコラムは、ある意味当然ながら、トニー・ブレアの提言と通底している。
まともで責任ある、政治アジェンダ構築が急務であるということだ。
『 成長の鈍化は、ほかのあらゆるものに悪影響を与える。チャンスが少なくなり楽観主義が影を潜め、誰かが得をすれば誰かが損をする「ゼロサム」や「取ったもの勝ち」という考え方がはびこっている。経済の失速により、米国の労働者は完全に打ちのめされてしまったのだ。
エバースタット氏の論文はこんな考え方を示している。私たちが今こそ取り組むべき課題は、トランプ大統領に抵抗することではない。大事なのは、いかにして彼に代わる何かを見つけるかだ。つまり、成長の鈍化と社会への不満に対処する方法を見いださなければならない。』
安倍一強を徒に嘆くべきではない。
安倍一強ではなく、適切な対抗軸の欠如が、日本の民主主義の最大の問題であるということは徹底して考えるべきときである。二項対立ではなく、安倍政権への軌道修正を促すことで国民にとっての最適解を追及するという道筋にかけることがが、私たちが自分たちを守るために不可欠なのだ。