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トニー・ブレア 革新的中道政治のススメ   (Against Populism, the Center Must Hold)

2017年3月5日(日)15℃ 晴れのちくもり

 

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現代的ポピュリズムはデモクラシーというものの極限的な形態であるという意味で厄介な存在である。その厄介な怪物の最初の犠牲者となった元労働党首でイギリス首相(1997年から2007年)のトニー・ブレアがそれでも、極論に走らず、中道性を維持することの必要性を主張している。

 

 

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ポピュリズムの圧力の中で、極論に引き寄せられている、現代政治に対して、革新的(progressive)かつ中道的(Center)な政策アジェンダの構築が急務であると主張している。EUの問題を解決し、その前提で、イギリスがEUに残留するという選択肢を模索するという彼が現在イギリスで行っている政治活動がまさにその具体化なのだという。

 

Tony Blair: Against Populism, the Center Must Hold

https://www.nytimes.com/2017/03/03/opinion/tony-blair-against-populism-the-center-must-hold.html?ref=todayspaper&_r=0

 

(以下意訳)

 

ただ怒りを露わにするのは簡単である。しかし戦略というものを実行することはかなり困難だ。怒りが人々にとっての動機付けをする上で必要なのはたしかだ。動機付けが達成されたとしても、戦略がなければ、勝利を得ることはできない。

 

西側諸国を席巻している極右ポピュリズムへの情緒的反応は、先ずは、抗議と当惑である。しかし、この動きにきちんと対抗するためには、何が起こっているのか、なぜ起こったのか、そしてこれに対して何ができるのかを冷静に分析しなければならない。。

 

政治は書き換えられつつある。

 

この現象は、欧米問わず同じだ。今後予定される仏独の選挙には欧州そして、おそらくは欧州の自由民主主義全体の未来がかかっている。

 

大西洋の両岸で顕著な極右ポピュリズムは、現状を、従来型の保守政治の崩壊と、グローバル化によって置き去りにされてしまった勤労者階級という、もともとは左翼寄りの支持者たちと、リベラリズムを憎悪するもともとは右翼よりの支持者との間の新しい連携関係へと置き換えることを目的としている。

 

これらの有権者層はどちらも伝統的な文化が、移民と「ポリティカルコレクトネス」によってリスクにさらされていると信じている。両者ともに、グローバルな連携よりは国民国家というものを信じている。さらに両者ともに、いわゆるエリートによって落胆させられていると感じており、解決策は、自らバイアスだらけのエスタブリッシュメントにどう批判されようがびくともしないだけの強さを持つ、信じるに足る人物を選ぶことだと思っている。

 

この革命は、経済的な側面がないとは言えないが、主として文化的な性格のものである。新しい連携は昔のレーガンサッチャー的なものに似てはいるが、同じものではない。1980年代にさかのぼって思い出してみると、勤労者階級の有権者は右寄りになった。理由は、左派が彼らの生活改善への意欲を満足させてくれなかったからだと多くの人々が感じていたからだ。これも、文化的な問題と言えないことはない。しかし主に経済的な問題ととらえることができた。不安というよりは抑圧されているというのが有権者の感じていたことだ。

 

今は当時とは異なっている。

 

今回のポピュリズムの手口は、理性ではなく、怒声だ。時折はアナクロ的な感じがする。さらに現代のポピュリズムはその背後で強力にメディアを動員してきた。そしてポピュリズムの支持者たちはリーダーが発する怒りを歓迎している。ポピュリズムによって公共の場での言説が二極化し、人々の依存心を高めることになった。そのため政府の中にいても、そこから排除されているかのように行動するものもいる。

 

一方、伝統的な保守派は、自分の町にいるのに、まるで異邦人のように感じている。こういった人々は、新しい秩序を一過性の現象と受け止め、これが権威を転覆させようとする革命ととらえ、本格的に闘う必要があるものなのかどうかという当惑を抱えている。

 

この運動の成功の理由は、その規模、範囲そして変化の速度にある。現代のポピュリズム運動は経済の面では、雇用が失われ、コミュニティが分断されるという環境の中で醸成され、文化的には、グローバル化の力が全世界の間の距離を短くし、従来の国家、人種、文化の境界を曖昧なものにする中で加速した。

 

このダイナミズムの中で、分裂したのは右派だけではない。従来型の左派の運動の中で、右派とも連携しているのが反グローバル化である。彼らは、移民に就業機会を提供しているビネス界を主要な悪であると名指している。

 

 

左派のポピュリズムには深い論理的過誤が内在している。論理的に、右派のポピュリズムの主張に匹敵しうるものではない。しかし左派のポピュリズムは、かなり危険な形で、対立する右派が左派を批判するいくつかの論点の正しさを証明している。左派の提案するプログラムの、革新的(progressive)部分に対する支持を難しくする、一種の冷笑主義を世に広めてしまうのである。

 

重要なのは、今生じていることが、2008年の金融危機911によって引き起こされた余波に関わる、一種の過渡的なものに過ぎないのか、政治における新時代の始まりなのかということだ。

 

欧米の政党システムは、産業革命時の、社会主義と資本主義、あるいは市場と国家をめぐる論争を起源としている。そしてこういった既存政党は、その根幹の部分がかなりしっかりしているので、これまで永続することができたのである。しかし、今や、こういった右派、左派という伝統的な政治軸とは違った区分が生まれてきている。

 

子供の頃は、私の父親のような人々は保守派に属していた。経済的にも、社会的にも保守と言うことができたのである。今日の有権者の多くは、こういった古い類型に当てはまらない。彼らは、ビジネスに対して肯定的で、経済に対しても、伝統的用法で、保守的だと言える。ただ同時に、彼らは社会的にはリベラルのカテゴリーに属してもいるのである。彼らは同性愛者の権利を肯定している。こうした人々は左派に投票するのに慣れ親しんではいるが、文化的には非リベラルで、富裕層の政党に投票することにもさほど問題を感じないのである。

 

今日重要になっている政治軸は、従来型の左/右ではなく、オープン/クローズになっているのだ。オープンな人々は、グローバル化をチャンスとしてとらえ、それに伴う問題にはなんらかの緩和策が取られるべきであると考えている。これに対してクローズな人々は、国外をすべて脅威と考える。

 

既存政党は、この新しい政治軸の違いに対応できていないため、選挙におけるリアルな民意を反映する自然な回路とは言えなくなっているのである。

 

 

欧米諸国の政治は、従来の左派、右派という政治軸に基づく既存政党によって支配されている。しかも、過激なポピュリズムからの圧力によって、既存政党はより極端な方向にシフトしている。その具体例は英国の労働党とフランスの社会党である。

 

この結果、政治空間の真ん中に大きなスペースが空いているのだ。政治における革新陣営にとって正しい戦略は、この中央にある大きなスペースから見た新しい政治連携を構築することである。このためには、革新派は、社会的進歩という大義に見切りをつけた有権者層が感じている、純粋な文化的不安をはっきりと認識する必要がある。つまり彼らが移民、過激なイスラム主義の脅威に感じている不安や、ジェンダー問題に関する過度な拘泥だけが、革新的であることの代表例のように見せてしまう問題点などをどのように解決するかなのである。

 

政治的中道勢力は、国民が今直面している変化に対応するための支援を提供できることを証明する、新しい政策アジェンダを作り上げる必要がある。ここで重要なのは、シリコンバレーなどで技術革命を推進する人々と、政府で公共政策を担当する人々の間の連携である。

 

現在、この二者の間には、理解の断絶がある。AIやビッグデータが雇用にもたらす悪影響を避けることは難しい。しかしテクノロジーを通じて生活をよりよくしていくという機会もあるのだ。

 

この新しいアジェンダは、政府、医療サービスを国民に提供する方法を根本的に変えることにフォーカスすべきである。この中には、労働者を教育し、技術を付与することで、彼らが将来に対して備えることができるような仕組も提案されなければならない。税制や福祉システムを、より公正な形で富の分配を促進するためにどう変えるか、国のインフラをどのように新しくしていくか、貿易やテクノロジーからの悪影響にもっともさらされているコミュニティに対してどのような投資を行うか等。

 

革新勢力は政党間の分裂を超えてわかりあわねばならない。党派性に囚われないという美徳を生み出さねばならない。既存の政党構造の中で、疎外感を感じている人々は共通の大義を努力すべきで、それは何ら恥じるべきことではない。これはまさに、今、我々がイギリスで行っている政治活動なのである。すなわち、EUの現状の問題を改善し、生まれ変わったEUにイギリスが残留することを主張する運動である。

 

革新的中道政治は、死んではいない。しかしそれは再び創造され、エネルギーを増強する必要がある。自由民主主義が生き残り、繁栄するためには、我々はポピュリスト的(Populist)ではなく、本質的に人気のある(Popular)政治連携を模索しなければならない。(以上)

 

 

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