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21世紀ラジオ (Radio@21)

何かと気になって仕方のないこと (@R21ADIO)

フィリップ・ロス 『プロット・アゲンスト・アメリカ』(柴田元幸訳)(トランプのアメリカ)

2月28日(火)11℃ 晴れ後くもり

 

112.317 ¥/$

 

世界は、残念ながら、一言で言うには複雑すぎる。

 

にもかかわらず、私たちは、複雑な説明が大嫌いだ。

 

複雑な説明を理解しない、私たちを、単細胞生物を見るような目で、冷笑する視線はもっと嫌いだ。

 

結局、私たちは、メッセンジャーを飛び越えて複雑さ自体を憎悪するようになる。

 

単純に片づけた世界は、あてはめた作り付けの画枠を突き破って、いつか、私たちを追い詰めるという声にふと心を動かされても、私たちの愚昧さを見下げる暗黙のメッセージへの嫌悪が、残っていた少しばかりの分別さえどこかに押しやってしまう。

 

単純な言葉というものはそれほどに恐ろしい。

 

フィリップ・ロスの「プロット・アゲンスト・アメリカ」(柴田元幸訳 集英社 2014年)は単純な政治的メッセージが、ニューアークユダヤ人街に住む7歳のフィリップ・ロスの世界を急激に破壊し、彼ら一家を外部からも内部からも追い詰めていくという恐ろしい歴史改変小説である。

 

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1940年のロースヴェルトの三選がかかった大統領選挙の直前の1940年6月から、真珠湾攻撃の直前の1942年10月までを舞台にしている。

 

ロスの練達の筆力によって構築された悪夢のリアリティは見事だ。

 

1940年の大統領選挙で、国民的英雄のリンドバーグが、ローズヴェルトを破って第33代大統領に就任するところから悪夢は始まる。設定においてディストピア小説の構造を採るが、その設定を前提にしたユダヤ人一家の崩壊が細部に至るまで冷徹なリアリズムで描きつくされている。

 

リンドバーグは、悪の枢軸国との戦争へとアメリカを引き入れようとする、イギリス、ユダヤ人、ローズヴェルト政権に対して、不介入論を訴える。

 

実際のリンドバーグも1941年9月11日にアリゾナ州デモインで不介入運動陣営の依頼を受けて、スピーチを行っている。反ユダヤ主義が横行していた当時でさえ、限度を超えたものとして、このスピーチの後、リンドバーグは四面楚歌状態になったらしい。

 

フィリップ・ロスは、これに対して、このリンドバーグが、「リンドバーグローズヴェルトではない、リンドバーグ対戦争という」単純なメッセージを繰り返すことによってユダヤ人以外のあらゆる米国民を糾合し、大統領選に勝利するという代替現実を作りだしている。

 

『「私が大統領選に立候補したのは」とリンドバーグは、彼の名前を叫ぶ声がようやく止むと、熱狂する群衆に向かって言った。「アメリカがふたたび世界大戦に加わるのを防いでアメリカの民主主義を護るためです。皆さんの選択は単純です。それはチャールズ・A・リンドバーグ対フランクリン・デラノ・ローズヴェルトではありません。それはリンドバーグ対戦争です」』

 

大統領就任後のリンドバーグは、ユダヤ人に対して排除ではなく、同化政策を採用する。フィルの母親の妹の恋人であるユダヤ教のラビがこの同化政策を支持して、リンドバーグ政権の中で台頭していくにつれ、ロス家の長男サンディは叔母の影響で、同化運動の申し子のような利用をされていく。こうしてロス家は愛するものを同化政策によって奪われることになる。

 

『「ドイツじゃヒトラーは少なくとも、ユダヤ人をナチ党から排除するだけの節度はわきまえている。それと腕章があって、それと強制収容所があって、汚らしいユダヤ人は歓迎されないってことは少なくともはっきりしてる。だけどここじゃナチスが、ユダヤ人を仲間に入れるふりをする。何故だ?ユダヤ人を安心させて眠らせるためさ。アメリカは万事最高なんだっていう馬鹿気た夢で安心させて眠らせるためさ。だけどこれは何なんだ?」と父は叫んだ。』

 

同化政策の徹底のために、ユダヤ人地区を解体する政策が展開される。政権は雇用手である大企業と結託して、サラリーマンが抵抗できない転勤という手段によって、ユダヤ人家庭を彼らのコミュニティから引きはがしていく。本当の「アメリカ人」にするためという建前のロジックに勤め人は逆らうことができない。このあたりのリアリティは私たちの実感にも刺さってくる。

 

元々の暮らしにこだわるロス家に対する圧力は顕在化していく。家族の回りをうかがうFBIのメンバーの影。

 

とにかく一読の価値のある傑作だ。

 

私は、この小説家の想像力を刺激した、リンドバーグのスピーチそのものにひきつけられた。リンドバーグを四面楚歌にしたという有名なスピーチだ。

 

The American Experience | Lindbergh | Des Moines Speech

 

 

 

 

 

 

 

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 全国世論調査によれば、1939年、英仏がドイツに宣戦布告した際、アメリカも同様の道を採ることに賛成した国民は十パーセントに満たなかったのです。

 

 しかし、この国にも外国にも、その利害関係と信条ゆえに、合衆国を戦争に巻き込まずにおれないさまざまな集団が存在しました。今夜、これらの集団のいくつかを指摘し、彼らの採る方法を概観したいと思います。これを為すにあたって、私はいっさい包み隠すことなく語らねばなりません。その企てを挫くには、彼らが何者であるか、皆さんにはっきり知っていただかねばならないからです。

 

 この国を戦争へと押しやってきた三つの最重要集団は、イギリス、ユダヤ人、そしてローズヴェルト政権です。これらの集団の陰に、重要性としては劣る、資本家、新英派、そして人類の未来が大英帝国の支配にかかっていると信じる知識人の集団が存在します。これに、数週間前までは介入に反対していた共産主義諸集団を加えれば、この国の主たる戦争扇動者を一通り挙げたことになるでしょう。』

 

反ユダヤ主義が横行していた当時ですら、大多数のアメリカ人によって(隠れリンドバーグは当然いたとして)公式に拒否されたのは次の件だろう。

 

『 ユダヤの人びとが、なぜナチスドイツの転覆を望むのか、理解するのは難しくありません。彼らがドイツで被ったたぐいの迫害を受ければ、どんな民族でも激しい憎しみを抱くようになろうというものです。

 

 人間の尊厳の感覚を持っている人なら、ドイツにおけるユダヤ民族への迫害を誰も容赦することはできません。しかし、誠意と見識を備えている人間であれば、今日この国で彼らが繰り広げている好戦論に目を向けるなら、そうした政策が私たちにとって、そして彼らにとってもいかなる危険を孕んでいるかが見てとれるはずです。この国のユダヤ人集団は、戦争に向けて煽動する代わりに、あらゆる面から戦争に反対しているべきなのです。参戦から生じる影響を真っ先に被るにちがいない集団のひとつが、ほかならぬ彼らなのですから。

 

 寛容は平和と強さに依存する美徳です。戦争と荒廃にあって寛容が生き残り得ないことは歴史が証しています。ユダヤ人でも一部の先見の明ある人々はこの事実を認識しており、介入反対の立場を採っています。ですが大多数にはいまだそれが見えていません。

 

 わが国に対するユダヤ人の最大の脅威は、彼らがこの国の映画産業、新聞、ラジオ、政府を大部分占有し、影響力を行使していることです。

 

 ユダヤ人、イギリス人、私はそのどちらも攻撃しているのではありません。どちらの民族にも私は敬服しています。しかし、イギリス人、ユダヤ人両方の指導者たちが、彼らの視点から見ればもっともな、私たちの視点から見れば望ましくない理由ゆえ、アメリカとは無縁の理由ゆえに私たちを戦争に巻き込みたがっているということは、ここではっきり申し上げたいと思います。

 

 ユダヤ人が己の利に適うと信じるものを護ろうとするのを咎めることはできません。しかし、私たちもまた自分たちの利益を護らねばなりません。他民族のありのままの情念と偏見がわが国を破滅に導くのを許すわけには行きません。』

 

結局、リンドバーグが世の中に与えたものは、ユダヤ人だけではない米国民からも拒絶されたこのスピーチだった。しかしそのリンドバーグの「罪」を代替現実を想定してまで、実名で描き出していくという、このユダヤ人作家の恐怖感というものの根源はどこにあるのだろうか。

 

この小説は、J.Wブッシュ政権が暴走する過程で書かれている。

 

海の向こうで起こっているナチスユダヤ人に対する人道的重罪や、アメリカの中に潜在的に存在する反ユダヤ主義の流れなどを、一気に無効化しうる、単純でわかりやすいメッセージの恐ろしさなのではないだろうか。

 

全ての部分に醜悪な狂気が組み込まれているわけではない。むしろ、他人の戦争に介入しないという部分に関しては、多数の者を納得させる内容ともいえる。なぜ、我々の子供たちの血が、他人の戦争のために流されなければならないのかという形に言い換えれば、これもまた簡単に否定のできないメッセージなのだ。

 

40年代の現実のアメリカは、反ユダヤの奔流を許さなかった。しかし繰り返し引き起こされる単純なメッセージの専制に対する本源的恐怖が、このかなり歪な作品を生み出した根源に存在している。

恐ろしいのは、正義が人間の数ほどあって、そのどれもが正しいことなのだ。そして正しさは単純さを纏って現れる。それが真実とはかけ離れていたとしても、残念ながら、人間は、世界をその複雑さそのままに理解しようとはしない。

 

 

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