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21世紀ラジオ (Radio@21)

何かと気になって仕方のないこと (@R21ADIO)

トランプ、ロールモデルとしてのニクソン   (トランプのアメリカ)

  •  2017年2月11日(土)10℃ 晴れ時々曇り

113.25¥/$

 

トランプの減税期待とやらで、昨夜のアメリカ株式市場は堅調だった。問題の為替も113.25円/$と様子見が続いている。

 

日米首脳会談も、とりあえずは、安倍首相側の想定の範囲内で終わったようだ。金がかかっているので、一番、疑り深く、粘着質な為替市場は、ゴルフ場からのトランプの爆弾ツイートに備えてか、ポジションを一方に傾けてはいないようだが、週明けに、ドル高に触れる可能性は強くなったようだ。

 

安倍首相とトランプ大統領の会見と握手する様子がツイッターなどで拡散されている。和気藹々いうか、まさにアメリカのメディアがAwkward Smileぎこちない笑いといった通りの笑顔だった。

 

残るは会食とゴルフ。

 

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トランプが大統領選でLaw and Orderを連発した時に、彼の中のロールモデルの中に、レーガンに加えて、ニクソンがあるのが指摘された。ニクソンというと、日本ではいかにも過去の人となり果てて、しかもウォータゲート事件での辞任という汚名によって「歴史に残る」大統領になってしまっている感が強い。

 

彼の片腕として辣腕を振るったキッシンジャーは、90を超えて尚、国際政治の中で蠢いている(笑)ようだ。今回の習近平への親書、そして電話会談というのも、キッシンジャーのアドバイス(というよりは、おれのメンツを潰すなという恫喝?)のせいなのかもしれない。

 

いずれにせよ、トランプは安倍晋三との首脳会談に先立って、アジア重視ということを明確にした。

 

理念は素晴らしいし、人格も一流(?)なのかもしれないが、とってつけたような広島訪問は別にしても、オバマの日本に対する関心の薄さは明らかだった。このあたりはビル・クリントンも含めての、最近の民主党の大統領の特徴かもしれない。

このあたりは、ありあまる時間の中で彼が執筆するだろう回想録や、今後のオバマ論の分析に任せることにして、我々は今の日米の現実に立ち戻らなければならない。

 

アジアを重視したのは、ニクソンである。経済音痴を自認し、自ら外交専門大統領と自称した彼は、キッシンジャーを片腕として、ベトナムからの撤退、中国と国交回復、佐藤政権との沖縄返還、日米繊維交渉の密約問題、ドルと金の兌換禁止(ニクソンショック)と外交面ではかなり大きな仕事を成し遂げている。

 

近年はその仕事師としての実績と貢献についての復権が急速に進んでいるらしいが、日本人としては、憎々しいキッシンジャーを表に立てて、散々いじめられたという印象がいまだに強い。

 

辞職後は、執筆や講演に時間を使ったらしいが、そんな彼の、主著の一つに「指導者とは」(徳岡孝夫訳 文春学藝ライブラリー 2013年)がある。徳岡氏の練れた訳文のおかげもあって、きわめて、読みやすく、面白い、英雄列伝となっている。

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一国の宰相が、直接同じ時間を共有した、チャーチル、ドゴール、アデナウアー、フルシチョフ周恩来などの世界政治のきら星のような人物を取り上げた評伝である。これは評伝文学としても一流だ。

 

その中に、日本関連としては、マッカーサー吉田茂という形で一章が設けられている。

 

マッカーサー吉田茂という複雑な人々の心の襞に分け入りつつ、日米関係というものの本質を抉り出している。今後の日米関係を考える上でも、必読の文献の一つだろう。

 

日本の占領とその後の奇跡の復活を成し遂げたマッカーサーと吉田の絶妙の組み合わせと、互いの友情が心をうつ。

 

戦後のアジア、日本政策の根本を決めたのはマッカーサーだった。ユーラシア大陸に広がる共産主義勢力の脅威に対して、日本を反共の拠点にしていくという立場で、マッカーサー、吉田(そして昭和天皇)の方向性は一致していた。

 

しかし、最終的に、マッカーサーを解任することになる、トルーマン大統領とその取り巻き、ディーン・アチソンなどには、アジアそして日本軽視の傾向が強かった。オバマトルーマンに擬するのはあまりの短絡なのかもしれないが、米国の対日観の中にもそういったサイクルが存在しているのは現実なのだ。

 

マッカーサーの興亡に直接立ち会ったニクソンは、自らの境遇もあいまって、マッカーサー、吉田という敗れざる者への愛情に満ちている。失意の中にあったニクソンに向けた吉田茂の気配り等、一般には知られざるエピソードもきわめて魅力的だ。

 

マッカーサーは、日本に民主主義的な諸制度を持ち込み、日本人を一日も早く民主化しようとした。吉田は、日本人がそうした新しい事由の恩恵とそれに伴う責任を十分に持つようになるには、一定の時間が必要なことを知っていた。彼はまた、アメリカで成功したことすべてが必ずしも日本で成功しないことを、見抜いていたのである。』

 

孫崎享氏の「戦後史の正体」という史観の中では、吉田茂の決断を認めつつも、彼の属米姿勢が必要以上に継続し、それが外務省に代表される対米従属論に繋がったと裁断されている。

 

その見立ては認めるとして、常に、米国の対日政策の中に伏流していた、冷戦における極東基地としての日本の再軍備化に対して行った粘り強い日本の国益の維持に対する評価はいくら行っても、しすぎるということはない。

 

ニクソン吉田茂に向けるまなざしは暖かい。

 

マッカーサー吉田茂に共通するものとしてニクソンは多くの批判にさらされた点をあげる。

 

マッカーサー吉田茂も、特に知識人から多くの批判を浴びた。吉田に関しては、サンフランシスコ講和条約の時の単独講和(中ソ抜きの条約締結)と全面講和を巡る、時の東大総長の南原繁丸山真男の師匠筋)からの批判に対して曲学阿世の徒呼ばわりをして騒動を引き起こした。

 

ニクソンにも彼自身の悲哀がある。ケネディオバマ?)と違って、実力に世評が伴わない宿命にさらされたニクソンならではの両者への共感が奔出してくるのを止められないのが、文体の魅力に繋がっている。

 

イギリスのディズレーリとブラックストーンという二人のライバル政治家に対して、世間から寄せられた不当な批判に対するブレイクのこんな言葉の中に、ニクソンの悲哀と矜持が露呈している。

 

『かなりニュアンスの違いはあるが、二人はいずれも才能に恵まれた偉人だった。だが、議会制民主主義の中に生きる偉人は、人類の大半を占める凡庸な人々から嫌悪され、貶められる運命にある。』

 

再軍備ということに対して自らもある時点で当事者であったニクソンは、吉田茂の米軍に依存して経済成長を重視するという戦略に対して以下のような評価を加えている。

 

『私は、日本がもっと積極的に防衛力を分担すべきだと思う。しかし、だからといって、それを拒否した吉田を責める者ではない。外交政策の術にある者の評価さるべき基準の一つは、可能なかぎり少ないコストで最大の国益を確保することにあると私は考える。この尺度をもってすれば、吉田の行動はみごとと言うほかない。』

 

自ら、国際政治という獣道を踏みしめた一国の宰相ならではの言葉だ。凡百の「曲学阿世」の非難をものともしない勁さがそこにある。

 

トランプ政権の誕生を、歴史の狡知とみなすならば、今、常に更新される新しい条件のもとで、再び、「可能なかぎり少ないコストで最大の国益を確保すること」とは何かを国として真剣に考えなければならない時が来ている。

 

それは政治家のみに与えられた課題ではない。ポピュリズムという「普通の人々」を騙る捩じれたイデオロギーを克服するには、括弧を外した普通の我々が、自ら、考え、決めるしか道はないからだ。