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安倍晋三、自主独立の系譜(トランプのアメリカ)

2017年2月9日(木)4℃ 雪のち曇り

 

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日本政治における米国という存在の影を前提として、戦後の日本の首相には自主派と対米追随派の二つの流れがあると元外務省の孫崎享が「戦後史の正体 1945-2012」を書いて話題を呼んでから、もう5年になる。

 

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彼の見立てによれば、

 

自主派;重光葵石橋湛山芦田均岸信介鳩山一郎佐藤栄作田中角栄福田赳夫宮澤喜一細川護熙鳩山由紀夫

 

対米追随派;吉田茂池田勇人三木武夫中曽根康弘小泉純一郎

 

一部抵抗派;鈴木善幸、竹下昇、橋本龍太郎

 

ただ、アメリカの圧倒的な影響下のもとにあるメディア、学術、財界は、対米追随派の先駆けである吉田茂を軸とした、ハレの歴史観の中で形成され、それを正史として世の中は進むべきであるという前提から外れることがない。

 

孫崎のきわめて説得力のある、しかし少々過激なものの見方、すなわち、天皇、検察特捜部、経済同友会朝日新聞、読売新聞、そして外務省などの高級官僚あるいは学生運動までがスクラムを組んで、属米エスタブリッシュメントを形成し、自主派の努力を潰していったという史観が、陰謀論という形で、暗黙の攻撃、あるいは無視をされていった過程は記憶に新しい。

 

しかし日本の戦後史に伏流する主たる潮流は、彼の示す史観の通りの方向性を辿っているのだ。

 

戦後、マッカーサーのもとで、日本の戦争遂行能力を徹底して破壊することを目的とした過酷な占領政策が遂行された。しかし、その後、米ソの冷戦の始まりの中で、日本を対ソの防波堤として利用するために、経済復興させるという突然の決定が起こる。1948年以降の逆コースである。その後、朝鮮戦争ベトナム戦争と米国の海外派兵が続く中で、前線基地としての日本の役割がより増大していった。

 

新旧日米安保条約を通じて、アメリカが守るべき権益はただ一つだったと、孫崎は言う。曰く「米国が望むだけの軍隊を、望む場所に、望む期間だけ駐留させる権利を確保すること。」(ダレス)である。

 

そして軍の論理に過ぎないものがあたかも米国全体の権益に成りすますようになり、それを慮る外務省を代表する属米集団がこれを恰も変更不能なものに仕立ててきたのがこれまでの日米関係、すなわち同盟の正体なのだと彼は喝破する。

 

トランプに関して孫崎が今、どのような発言をしているのかは知らない。

 

ただこの視点から見て、トランプは二つの意味で興味深い存在である。

 

彼は、今のところ、軍の論理があたかも米国の論理としてまかり通るという常識とは無縁に見えるからである。自主派の観点からすれば、トランプの好きにすればいいという発言は、千載一遇のチャンスなのかもしれない。純粋な平和主義でないのであれば、、米国に守られるよりは、米国に巻き込まれるリスクが高まっているという昨今を見るにつけ、、自ら巻き込まれることがなく、国の経済も破壊しない、自主防衛というものを考えるべきときなのだろう。

 

さらに、ともすれば、米国のエージェントで属米の筆頭のように嫌われてきた岸信介がむしろ粘り強く、慎重かつ果敢な自主派であったという点は強く留意すべき点だろう。私たちは、わかりやすい吉田の属米外交ではなく、昭和の怪物と呼ばれた岸信介のことをより深く学ぶべき時なのだろうと思う。

 

岸が訪米し、それまでのカウンターパーティだったダレスがゴルフをしないことを奇禍として時の大統領アイゼンハワーと二人だけの時を過ごすことによって、個人的な関係を構築したというエピソードが面白い。その後、ダレスが二人の関係の深さを読み切れず、以前ほどの鋭さで岸の切り込めなくなったという件が、トランプとゴルフで二日を過ごす安倍晋三の現在と重なってくるのも何か不思議なほどだ。

 

安倍晋三は、対米関係においては間違いなく、祖父岸信介の衣鉢を継いでいる。岸の対米経験は、おそらく知のレベルだけでなく、血肉のレベルで伝わっているはずだ。

 

まったく米国と無縁で日本が生きていくことはできない。その意味で、吉田茂以来の属米主義は一つのリアリズムの伝統と言える。

 

ただ、米国が日本に期待することは、その時点、時点での米国の国益の適うことなのであり、定義上、変化してやまないものなのだ。しかも、悪いことに、その時点で、何が、米国の国益かは、(当の米国にとっても)明らかではないのだ。吉田茂、イランのパーレビ国王、イラクサダム・フセインなど、それまで徹底して米国に尽くしたものが、その国益の急変を読み取れずに、土壇場で弊履のように捨てられていくという過去がそれを物語っている。

 

トランプのアメリカにおいて、今、アメリカの国益はどのように変化しているのだろうか。トランプ本人の本意すら定かではない今、日本として、誤ったボタンを押さぬために何ができるのか、何をすべきなのか。何をすべきではないのか。

 

かてて加えて、米国の国益を代表しているやに見える当事者の政治的余命にいたるまで予測しながらの綱渡りが必要になっている。それが日本にとっての対米外交という現実なのだ。

 

今日深夜にアメリカへ飛び立つ、安倍首相は、新しい歴史の重さの中に踏み込んでいくことになる。