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トランプのアメリカ;極限的一次資料としてのツイッター

2017年2月5日(日)12℃ 曇り時々雨

 

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自分が100年後の世界からタイムスリップしてきた歴史家だと想像してみた。

 

その時点で書かれている、多くのトランプ、トランプ現象とその後のアメリカ、世界の動向についての歴史書を日々読み込むのを日常としていた。そしてアメリカ史の専門家だったとすれば、自分はそれを幸運と捉えるだろうか。

 

The judge opens up our country to potential terrorists and others that do not have our best interests at heart. Bad people are very happy!

 
 
 

一冊の歴史書に纏め上げられたトランプ現象とそれに伴う歴史を読むことは100年後の私にとってさほど難しいことでもなかっただろう。しかし自ら専門家として当時(今)の第一次資料を読みこんでいくのは大変な作業だろう。インターネットのなかった時代の歴史家に比べれば、結果、利用できる資料数は指数級数的に増加しているはずだ。その頃には判読困難な古文書も読解可能な活字に変換してくれるソフトウェアなども開発されているかもしれないから、先日の情熱大陸で、観る者を驚愕させた磯田道史の古文書の速読能力というものも比類のない能力というレベルではなくなっているかもしれない。(しかし、あの番組を観て、磯田さんの凄さというのが実感できた。あの能力は素晴らしい。)

www.mbs.jp

 

AIによって、歴史家という仕事の中がより細分化され、人間の能力では早晩限界に達する部分のボトルネックが解消されているかもしれない。

 

とはいえ、そのようなSF的希望を抜きにすれば、タイムスリップしてきた自分は、自らの仕事の膨大さに触れ、茫然とするはずである。

 

歴史というのは、時間の篩がかかることを前提として成立する営為なのだ。現在の事実とよばれるものは、輪郭のない星雲状態のノイズの洪水状態である。

 

一念発起してトランプのアメリカというものを、歴史意識をもって、追いかけてみようと思った自分が即座に理解したのは、発信されている情報をすべて追いかけることなど不可能だという事実だった。

 

物理的時間は1日24時間である。その中の限られた範囲の中で、どれだけ、自分は歴史家として第一次資料を読むことができるのだろうか。

 

第一次資料という言葉の定義もそれほど定まっているものかどうかもわからない。当事者というのが誰かということもある。これを時間の篩にかかっていないというものと定義するならば、トランプ政権の活動を記者として報道しているもの、政治学として研究している専門家以外にも、投票した人々、関連報道に一喜一憂している国民、つまりは私自身も当事者と呼ぶことができるのだろう。

 

ドナルド・トランプが斬新なのは、その当事者の第一次資料を矢継ぎ早に、「手榴弾のように」放り投げていることだ。

 

トランプのツイートというものは、ある意味では超ド級の第一次資料だ。

 

「裁判官は、潜在的テロリストや本当のところは我々の利害にもっとも適うとは言えない他の者に対して我が国の扉を開いている。悪い奴らは、心からハッピーだろう。」

 

 

「一人の裁判官が国家安全保障における旅行の禁止を止めることができ、悪い意図をもって、米国へ入国しようとするものすら、入国可能にするというこの国は一体どうなっているんだ。」

 

彼の入国一次禁止の大統領令に対する裁判所の差止命令に対して瞬時に反応する。後先は考えることがない。それが彼の意図することか感情的反応かにかかわらず、ある意味、革命的な事態である。

 

アメリカは元始、実験の国であった。

 

トランプあるいはトランプ現象というものは、良い悪いは別として、この国の本質である実験国家という点をいみじくも明らかにしたのだろう。

 

しかしいずれにせよ、タイムスリップした新米歴史家モドキにとっては喜ばしくも、茫然自失の日々が続くのである。