沖縄のこと:原田マハ「太陽の棘」
一日中、小雨が降る、内省的にならざるを得ない日曜日だった。
原田マハの絵画小説が読みたいと思った。近くの図書館の書棚で、「太陽の棘」を見つけた。表紙の絵が印象的だった。
日本の敗戦後3年の1948年。沖縄に送られた若い米国人軍医が出会う一群の若い画家たちとの深い交流を描いた小説だ。
実在の米国人医師とニシムイアートコロニーを題材にした作品である。
「タッチは、そうだな、どことなく、ゴッホやゴーギャンを思い出させるね。けれど、どちらとも違う。実に独特だ。」
「たくましいね。どの国でも、どんな民族でも、どんな状況下にあっても、もっともたくましいのは芸術家たちだ。また、たくましくなければ、芸術家は勤まらないのかもしれないが。」
南国の太陽を光源とする光に溢れた美術小説も、決して、その歴史から無縁ではいられない。それが沖縄を舞台にするということの意味だ。
半世紀以上もたった現在に一直線に繋がる歴史がそこでは描かれざるを得ない。
とりわけ摩文仁出身の画家の抱える闇とそこから溢れ出る芸術的光の部分は痛切である。
『故郷の村は、文字通り、焦土と化していた。
(中略)
日が落ちて、夜になっても、ヒガは、その場を離れなかった。生家があったはずの場所に座り込み、膝を抱えて、いつまでも、いつまでも、真っ暗な闇の中で、目を見開き続けた。頭の中は、恐ろしいほどにしんとして、空っぽだった。
漆黒の満天に星がきらめいていた。その中の一つが、きらめいて、すっと流れていったのを見たとき、ヒガは突然、理解した。
父も、母も、妹たちも、祖母も、もうこの世にはいないのだ。
アメリカのせいか、ヤマトのせいか、わからない。けれど、皆、殺されたのだ。戦争という名の、人間が生み出した生き地獄に巻き込まれて。
そう気づいた瞬間、真っ暗な大地に、ふうっと、幾千の光が浮かび上がるのが見えた。
それは、打ち捨てられた遺骨から抜け出した魂かもしれなかった。光はふわふわと揺れて、ヒガを手招きしているかのようにも見えた。そこで初めて、ヒガは、固く目を閉じた。
―帰ろう。
ニシムイへ帰ってーそして描くんだ。ここで見たすべてを。むしゃくしゃする何もかも、全部、ぶつけて。
故郷の丘に背を向けて、ヒガは、走った。転がるようにして。そして、一番中歩き続けた。』
一気に読み終えて感じたことがある。
僕はまだ沖縄のことを何も知らない。その栄光も悲惨も何一つ知らない。