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21世紀ラジオ (Radio@21)

何かと気になって仕方のないこと (@R21ADIO)

政治の時間:Why I can't forgive Dylann Roof (Roxane Gay)

チャールストンの黒人教会で起こった白人中心主義者の若者によるテロ行為についての米国メディアの興奮はいまだ冷めない。

 

新聞、ニュース、ポッドキャストなどで、被害者家族が発したForgivenessについて多くの言葉が費やされている。チャールストンの奇跡、暗闇の中の光というような論調が強い。

 

そんな中で、NYTのRoxane Gayが発した「私がDylann Roofを許すことができない理由」という「勇気ある」コラムを読んだ。

 

被害者の黒人家族の発したForgivenessが賞賛される中で、米国のRacismの現実が隠蔽されている。

 

白人のアメリカは、この醜悪な現実から目を背けたいのだ。

 

そして、それを白人の集合的意識を反映したメディアが喧伝しているという内容のラジカルな内容だ。

 

黒人家族の発した言葉への驚きと感動、しかしそれに外部者である我々が感じた違和感がそこでは説明されている。

 

Why I can’t forgive Dylann Roof.

http://www.nytimes.com/2015/06/24/opinion/why-i-cant-forgive-dylann-roof.html?rref=collection%2Fcolumn%2Froxane-gay

 

「私たちは白人中心ということの力を思い知らされている。予測されたことだが、赦しのストーリーの中でメディアはこのテロリストを人間的に扱おうと努力している。彼らはDylann Roofの憎悪を理解しようとしている。これはある意味当然である。この醜悪な行為には説明が必要なのだ。加害者の保釈審問の中で、かつて法廷でN-word(黒人の蔑称)を使ったことで懲戒されたことのある判事が、9人の被害者とその家族のことだけではなく、テロリストの親族についても語った。慈悲を求める段になったときの白人であるということの力には限りがない。」

 

黒人は圧倒的な支配者である白人の無言の圧力の中で、生き延びていくために、前のめりで赦さざるを得ないのだという血の迸るような言葉が続く。

 

「黒人が被害にあったときに、赦しが求められるというのは、胸が痛くなるほど馴染み深い光景だ。白人たちは赦しという物語を受け入れる。なぜならば、これによって彼らは世界が実際よりも公正(fair)な場所であるように見せかけることができ、人種差別(Racism)が我々が生きている現代の拭い去ることのできない一部ではなく、痛切な過去の残骸に過ぎないとみなすことができるからだ。」

 

黒人に対する人種差別は、いかに、美しい物語で包まれようとも、決してその醜悪さを失うことなく、今も、厳然と存在するのだというメッセージ。

 

人の言葉というものは、その見かけほど単純ではなく、錯綜した文脈の中で発せられるという事実。痛切な普遍性だ。