Radio 21:ギリシア危機とチャールストンの奇跡
週末は、じっくりと新聞を読むというのが紙の新聞の頃からの習慣だ。
紙ではなく、タブレットやPCに変わったぐらいだ。
自宅であれ、近所の行きつけのカフェであれい、コーヒーは不可欠だ。
今週末は重苦しいニュースが目についた。
デフォルト危機に晒されているギリシア関連の記事。
FTのギリシアの極右政党を支える絶望した若者のニュースがあった。
「ギリシアの25歳以下の失業率は約40%で、EU平均のほぼ2倍に達している。経済危機に瀕している他の欧州諸国動揺、若者たちは、親の家に住み、すねかじりの状態を余儀なくされるという個人の尊厳を傷つけるような状況に陥っている。結婚もできず、移住して単純労働のチャンスしかない。」
ギリシアのデフォルトや、Euro脱退が、欧州や世界経済、引いてはギリシア国内に与える深刻な影響ははかりしれない。影響を予測しきれないという不安が漂う。
しかし、それ以上に、失業状態に置かれたギリシアの若者の絶望は深い。
何を選択したとしても、行き止まりという絶望感が合理的とはいえない極右勢力の台頭の背景にある。
ドイツなどがギリシア政府に求める改革は、構造的腐敗、コネ主義など、若者を虐げる旧体制の弊害の除去を求めている。
しかし改革の痛みと現状維持の痛みは若者たちにとってはが課する緊縮政策に疲弊したスペインなどの若者にも通底している。物事は根が深い。
ギリシアに対する追加的支援に対して批判的なEUの富裕な国々においても極右的政党が台頭しているというNYTのコラムがユーロ諸国の問題の本当の根深さを示している。デンマークにおける極右勢力。
「EU諸国の民主政治は、移民増加と経済成長の鈍化に直面して、批判勢力に対して信頼できる代替的ストーリーを組み立てることができずにいる。大衆の怒りと不安を表現する政党が弾みを得ている。北欧諸国、英国、フランスのようなもっとも富裕な国々の中に右傾化が見受けられる。」
極右政党の極端なメッセージ、ポピュリズムが、疲弊した大多数の民衆の情緒を動員していくというメカニズムは、僕たちにもなじみ深い風景だ。
極端な怒りよりも、静かな絶望の方がはるかに恐ろしいのかもしれない。
「ギリシアの極右政党とデンマーク人民党は鏡像関係にある。これは多くの欧州諸国のメガトレンドとなっている。中道政党による求心的な政治が周縁にアピールする政治に代替されつつあるのである。」
「グローバル化は勝ち組と負け組を生み出し、大多数は、置き去りにされたと感じ、主要政党によって彼らの利害は代表されていないと感じるようになっている。左派政党は、公共セクターの労働者とクリエイティブ産業の代表になり、右派は大企業と金融を代表している。両者ともに、社会的価値という意味ではリベラルである。このため人口のかなりの部分が怒りを感じ、代表されていないと感じるようになっている。そして異なる言葉遣いの新しい政党が出現している。」
デンマークやフィンランドなどの民主国では与党が圧倒的多数を占めてはいない。
ギリシア支援に前向きな姿勢に対して反発を隠さない大衆の票をポピュリスト政党が数%集めるだけで政権交代のリスクがあるという国内事情が域内問題に密接に関連している。
暗い気分は欧州にとどまるものではない。アメリカはアメリカで、黒人差別という闇がチャールストンの黒人教会で衝撃的な形で露呈した。
絶望、憎悪はさらなる絶望にしかつながらない。
嫌な時代がやってきている。小手先ではこの負のループから逃れることはできない。
一人ひとりが自分の心の問題を解決するということからしか、世界は変わらないのだろう。
その中で、遺族から発せられた「許す」という言葉は重く、暗い闇の中の一筋の光なのだ。絶望や憎悪からは絶望や憎悪しか生まれない。