Radio 21:梅雨に憂い、梅雨に憩う
東京も、本格的な梅雨時に入った。
真冬には、早く暖かさが戻るのを思い、梅雨時になると、纏いつくような湿気から解放されるなら、灼熱の夏の日差しがましだと思い、熱帯夜には、夜が心地よい晩夏を待ち望む。
手放しで気持ちのいい日々は、本当に、1年でも数えるほどだ。
強い日差しと日陰の爽やかな風の共存するハワイが、万人にとって憧れの的なのは当然だ。
そして春という数少ない手放しの季節は一瞬にして過ぎ去ってしまった。
どれだけ強い日差しでも、街に木陰や建物が作り出してくれる日陰がありさえすれば、かなり耐えられるものだ。
梅雨になると、日陰という至福の場所が、湿気に浸食されてしまう。
日陰を辿って歩けば、爽やかな散歩ができる季節ではない。しかも、いつ、雨が降り出すかがわからないのだ。大嫌いな傘を持ち歩かねばならなくなる季節。
そんなことならば、梅雨時をRainy Seasonと文字通り訳すのも差支えがないはずだ。
しかし英語圏の人間に、梅雨をRainy Seasonと伝えるときに、ちょっとしたためらいを感じてしまう。
高温多湿の日本の梅雨は、ロンドンとも、シンガポールともニューヨークの雨とも違う。
当たり前のことだが、そこには、気候の物理的な違いにとどまることのない、そこに住んでいる人間の情緒に繋がった雨が存在しているはずだ。
梅雨時を憂いながら、梅雨時に憩うという心理が自分の中にもあることに皆気づいている。
だから、梅雨をRainy SeasonとBusinesslikeに片付けるのにはいつも抵抗を感じてしまう。
ハワイの爽やかな風に憧れながら、高温多湿のモンスーン気候の過密都市に住み続けていることと、そのちょっとした抵抗感はどこかで繋がっているのだ。
そんなことを考えていたら、松本英子のスコールが無性に聴きたくなってしまった。