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21世紀ラジオ (Radio@21)

何かと気になって仕方のないこと (@R21ADIO)

本とポッドキャスト:「街の人生」と「How to be a girl」が教えてくれること

LGBTの領域でのアメリカでの最近の盛り上がりは凄い。

 

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LGBT - Wikipedia

 

アップルのCEOのTim Cookのカミングアウト、元オリンピック金メダリストで人気俳優のBruce JennerのTransgender告白と、女性の姿で、タイムの表紙に登場したこと等。

 

派手なことが続々起こっている。

 

  

How to be a girlというTransgenderの娘を育てるというポッドキャストを繰り返し聴きながら、こんな派手な騒ぎも確信犯的に取り入れて、前に進もうとするLGBTムーブメントについて考えさせられることが多くなった。

 

 

 

いわゆる「あたりまえ」という城塞の中では、皆、「あたりまえ」のように成長し、ちょっとした違和感も、継続的に周りから磨り潰されるうちに、自分の心も、身体も、「あたりまえ」という光沢でツルツルになってしまっている。

 

そんな時、その「あたりまえ」が本当に「あたりまえ」なのか、誰にとっての「あたりまえ」なのかを、ミクロに気にしていくというのは、「あたりまえ」の地獄の中から脱出するためにできるたった一つのことなのかもしれない。

 

監獄の壁を、毎日、少しずつ削って、何十年もかけて、脱獄に成功したあの「ショーシャンクの空に」の主人公のように。

 

www.youtube.com

 

毎日、少しずつ、削り取っていく、壁の土のことを、人は希望と呼ぶのかもしれない。

 

 

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Transgenderの問題も、当然、その国や地域の、「あたりまえ」の壁の厚さや頑丈さによって変わってくる。

 

アメリカで起こっていることと、日本で起こっていることには、かなり肌理の違いがあるのだろう。

 

岸政彦さんの「街の人生」の中の、

 

りか--「女になる」こと

 

を読みながらそんなことを感じた。

 

 

尼崎生まれのニューハーフ リカ。

 

LBGT運動が表の世界で、良きにつけ悪しきにつけ、大きなうねりを起こしているアメリカと、日本とはおそらくこの空気感はかなり違うのだろう。

 

ニューハーフという言葉の流通自体がその違いを示しているような気がする。

 

どちらが良くて、どちらが悪いという話ではないが、同じ違和感が、全く違った環境の中に置かれているのかもしれない。

 

日本と一括りにすることも、かなり粒度が粗すぎるものの見方なのだということを、りかのこんな語りが教えてくれる。

 

「でもね尼崎って街は、おばちゃんがパンチパーマをかけても不思議じゃない街なのよ。おとこの 私が女の言葉を使っても、わりと見過ごしてくれる街やったんね。罪悪感を感じずにこの世界に飛び込んだのはそういう素性もあったんちゃうかな。」

 

このあたりは、How To Be A Girlで6歳のTransgenderの曾孫娘を掛け値なく愛する100歳の曾祖母の言葉が共鳴する。

 

「年を取ると、皆、同じようになっていくものよ。」

 

たしかに、Genderというものも、生物学的に違和感を感じない人々と、違和感を押し殺せる人々、押し殺せない人々と、さまざまなグラデーションはあるが、あくまでも連続的な色合いの変化なのかもしれない。

 

環境に応じて、人間の「男」の部分と「女」の部分が配合されていく、本質的に人間はTrans-Gender的存在なのかもしれない。

 

ママが6歳のM.の思春期を恐れる気分がポッドキャストの中でも繰り返し語られていたが、その未来がりかの言葉をもって語られている。

 

「もう、すね毛生えてきたときはもうゾーッ。あと声変わりね。一生しゃべらんとこうって思った。」

 

「気持ちは女やのに身体はどんどん男になっていく!」っていう焦燥感。そうね、思春期の頃には。ずっと何かどうしていいのかわからない。」

 

Genderママが、怖れること、思春期前後に自殺を考えるTransgenderが41%という数字。型にはめられることへの違和感が大きければ大きいほど、その確率は高まるのかもしれない。

 

Genderママが自分の恋愛の中で、凝視せざるを得ない現実があった。

 

Transgenderの子供を持つ親にとって最大の恐怖は、自分の子供を愛してくれる人が現れないのではないか。

 

「いちばん苦しかったことは、恋が成就しないんだっていうのがわかった、成就するとかなんてありえないんだって思ったときに、いちばん、その生き方のなかでいちばん辛いことやなって。

 

若い頃やし、実はいまだにどっかでそうなんだけども。それがいちばん寂しいことなのかもね。いくつになってもそういう問題で泣いたりするよね。でもそれも普通の人もそうよね。普通に男と女だから、結婚できても離婚するかとだってあるだろうし、結婚しない人だっているし、妊娠できない人だっているわけだから、それがわかってきたら、なんてことはないわねって。」

 

ポッドキャストの中で6歳のM.がTransgenderの女の人になっていくってどういうことだと思うというママの質問に、一言、Specialと言ったときの、彼女の声には自分の運命のどこまで見通しているのかと思わせるような覚悟の深さがあったのを思い出す。

 

自分のGender Identityを異物として取り扱わなかった両親が、りかに対して、成人式の時だけ、スーツで出てくれと頼み、親返しのような気持で、似合わぬスーツで出かける件にはぐっとさせられた。

 

様々な色合いと、肌理の細かい表現に満ち溢れた語りの中でも、りかの勁さが感じられるこの部分が僕は好きだった。

 

「別にあたし偏見もたれるとかは平気だったりするわけね。平気なんだけども、でも、もったないからいっかい観てから考えて物言うてごらんて。一度見てよ。それで好き嫌い言ってって。何の説得力もないよね。生理的に嫌いっていうものあるやろうけど、それでも一度見てみろ。べきじゃない?そう思う、それが、同じ人間よぉって感じね。」

「あたりまえ」の壁の中にどっぷりつかって生きてきた人生である。その人生の綻びが少しずつ大きくなってくる中で、ようやく、その「あたりまえ」の持つ息苦しさの記憶が蘇ってくるようになる。

 

自分がじゃあこの後、どんな風に歩いて行こうかなと思うとき、大文字で書かれた理論よりは、肌理の細かい豊かな語りというものがかなり頼りになるということを「How To Be A Girl」と「街の人生」から教えてもらってるような気がする。