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21世紀ラジオ (Radio@21)

何かと気になって仕方のないこと (@R21ADIO)

惑星の時間:Sign Language as dance 言葉が舞う

手話のラップや、久しぶりに、酒井法子の「蒼いうさぎ」を聴いていたら、手話についてのパーソナルな記憶が蘇ってきた。

 

10年前にこんなコラムを書いたことがある。

 

言いたいのはSign Languageがそれ自体アートだということだ。

https://encrypted-tbn3.gstatic.com/images?q=tbn:ANd9GcTxacjdVWiFZt7v-p3-mJ7ZQdB6VBtAEC2zirN-PalE2qV6aypYYg

 

これは10年たっても変わらない感想だ。

 

ここで登場する娘も、社会人になり、商業用のデザイナーとして悩みながら、自分の表現というものを相変わらず求め続けている。

  

2005年10月28日

言葉が舞う

 

何年前のことだったろうか、山手線の中で、「言葉が舞う」のを、見た。

 

電車が、駅にとまると、多くの少年、少女が、乗りこんできた。ぼくは、読みさしの本から眼をあげた。中学生ぐらいの子供たちだった。14,5歳の少年たちが醸し出す、過剰なエネルギーが感じられた。 

 

しばらく、本の活字を追っていったが、ある違和感があった。当然、そういった年代の子供たちが乗り込んでくるのだから、一定の騒音を想定していた。ところが、気配の活発さのわりに、予想した騒音はない。

 

ぼくは、本から眼を上げた。

 

そこには、笑いさざめく、年相応の少年、少女の明るい笑顔があった。ただ、一つ、違っていたのが、彼らは、自分の言葉を、手話というテクノロジーにのせて飛ばしていたことだ。

 

 

それは、まるで、モダンダンスのようだった。子供たちは、手や指や身体をすべて使って、言葉を相手方に放り投げていた。電車という空間の中で、過剰な言葉が、活発に飛び交っていた。その場面の、音の欠落を沈黙という言葉にあてはめるのは、適当ではない気がした。

 

ぼくは、しばらく陶然と、その若々しい群舞に見とれていた。

 

手話という人間のテクノロジーの美しさを認識した、最初の時だった。

 

次に、ぼくが、手話というものと出会ったのは、Children of the Lesser Godsという聾唖者の女性と、聾唖学校の教師のラブストーリーだった。美しい聾唖者の女優の手話がとても美しい映画だった。 

 

www.youtube.com

 

「手話ができるって知ってた。」と、妻が言う。娘のことだ。中高一貫の女子高に通っている。子供の頃から、ダンス、演劇(どちらかといえば裏方)、デッサンなどの表現の方を好む子だった。今は、美大を目指して、都内の美術予備校のようなところに通っている。

 

「予備校に、耳の聞こえない男の子の同級生が入ってきたんだって。その予備校でも、年に一人か二人そういうケースがあるんだけれど、なかなか、個別対応が難しくて、学校側も困っていたらしいのよ。」

 

ところが、学科については、そんなに目立つ方ではなかった彼女が、新入生と突如手話で話しだしたというのである。新入生も、先生方もびっくりしたらしい。

 

「まわりに、耳の聞こえない人がいるの」って聞かれたわ、と娘は言う。いないというと、それなのに、手話ができるのはとても珍しいと言われたらしい。

 

娘が小学生の時に、耳の聞こえない薄幸の少女が主人公のテレビドラマがあって、その中で、主題歌を手話で表現するところがあった。娘は、学芸会で、その手話と歌を演じた。

 

 

その後も、彼女が、手話についての関心を持ち続けていたことを、ぼくたちは知らなかったし、彼女の手話のレベルが、美術学校の技術についての説明が翻訳できるレベルにあるなどと思いもしなかった。

 

以来、彼女は、美術学校の先生からも、新しいクラスメートからも重宝され、ありがたがられている。外国語は外国人と話すことによって上達するのだから、新しい言語である手話も日々の生活の中で利用する機会が多ければ多いほどよいに決まっている。

 

娘は、子供の頃から、コミュニケーションに対する情熱に満ちた子だった。

 

生まれて、幼稚園まで滞在した、ニュージャージ州でも、まわりの人々に全く気兼ねなく話しかける子だった。

 

米国で、ガレージセールをした時のことだった。

 

米国では、いらないものを、家の庭先に並べて、販売するということが頻繁に行われていた。近所の日本人の家庭と一緒に、庭先露店を広げた時のことだった。

 

地元の消防署の大男の係官が、難しい顔をして近づいてきた。君たち、きちんと届出はしてるんだろうね。慌てた親たちが、不慣れな英語であたふた応答している時だった。

 

突然、当時3歳ぐらいの娘が、その大男に笑顔一杯で近づいていき、How are you?と抱きついていったというのだ。 

 

流石の大男も、この不意打ちに、思わず破顔一笑。Fine. Thank you. And you?となったのだ。まわりの緊張もそれを機会に一気にほぐれたのである。 

 

近所のお母さんたちは、一発勝負に強い子よねえと感心しきりだったらしい。

 

近所のおばあさんや、知らない人に平気で話しかけるという、この種の逸話には、ことかかない。誘拐されないようにと皆が本気で心配したほどだった。

 

高校三年生になった今も、いろんな人たちと知り合っていきたいという思いは相変わらず強い子だ。

 

ただ、そういった外向性とシャイなところが微妙なバランスで存在している。これも含めて彼女の個性だと思う。

 

表現というアウトプットの質を決めるのは、インプットの質と量だ。

 

日々、表現という作業をする中で、彼女のこれまでの人生の中で蓄積したささやかな蓄えは使いつくされた。毎日、いい絵が描けないと悩んだり、泣いたりしている。

 

自前のたくわえがなくなり、学校で教わる定型の技法の影響が強まる中で、いったん個性が消える。定石を覚えたての将棋が弱くなるのと同じだ。

 

ここで、アウトプットの方を一定にしながら、インプットの質と量を上げる方法を獲得することが、表現者としての彼女の挑戦なのだろう。

 

そういった緊張の中で、手話という新しいインプットの手法を得たということは、何か象徴的だ。

 

電車の中で、手話で舞うように笑いさざめきあった少年、少女たちの顔がふとよぎった。