惑星の時間;木陰の散歩が大好き
陽のあたる坂道、太陽は燃えている等、当然ながら太陽というものは、すべての生命体の根源となるエネルギー源だから、ポジティブイメージで語られることが多い。
太陽を真正面に据えて歩き続けること。
陽ざしというものが、ポジティブなのが万国共通というのは単なる思い込みだった。中東の人々にとっては、生命を守るために避けなければならないものが直射日光なのだ。
実際、太陽を身体中に浴びて、活発に生きるというのは、青少年期のイメージだ。
年を取ればとるほど、陽ざしのもつ、マイナスの面が大きくなってくる。
ここ数日、東京もその灼熱都市の片鱗をのぞかせはじめている。
まだ日陰が涼しいので、随分楽だが、直射日光は、体力を消耗させるし、話題の熱中症のリスクも高まってきている。
歩くのが好きなのか、歩きながらポッドキャストを聴くことが好きなのかは今一つ定かではないが、街を歩くということが、生活のリズムになっている。
休日にただただ散歩するというのから、次のミーティング先まで、気持ちが良い日だったら歩いてみるのかを含めると、以前よりずっと歩く距離が長くなってきている。
ただでさえ運動不足になりがちなので、肥満防止対策であると同時に、それが一番、穏やかに存在する方法のようなのだ。
禅僧のティク・ナット・ハン師の歩く瞑想ではないが、呼吸を意識しながら、歩き続けるというのは、自分にとっては、今、この瞬間に戻る一番自然な方法だ。
心地よい歩行を妨げるのが、気温と雨と湿気だ。
その意味では、今ぐらいが、一番歩行に適している。梅雨時に傘をさして長距離歩行したり、酷暑の中、歩き続けるのも身体にこたえる。
中でも、直射日光が、長距離散策の最大の敵なのだ。
最近は至るところでジョギングをしている人に会うが、体温や、水分補給などは大丈夫なのかと余計なお世話ながら心配になってしまう。
直射日光に長時間さらされるだけで、かなり厳しいのだから。
これに対して、散策にとっての最大の味方、同伴者は、日陰である。
ある意味、都会を長く歩くためのコツは、どうすれば、日陰をたどることができるかだ。それが遠回りになるとしても、日陰の続く経路を辿ること。
大都会の場合、それは街の中の公園、街路樹だ。高層ビルというのも、風の問題を忘れれば、優しい人工的木陰を作ってくれる。
若い頃というのは、無鉄砲にも、直射日光に身をさらしながら生きている。しかし、徐々に、直射日光を避ける生き方というのも覚えていかなくてはならない。剛速球一本では、長くは続かない。
日のあたる坂道や、燃え盛る太陽を避け、一歩、横道にそれ日陰を辿るという呼吸が、散歩に限らず、人生にも必要になってくるのだ。
それを体力の衰えと呼ぶのは簡単だが、そのあたりも人生というものの醍醐味のような気がする。