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音楽の時間:吉田拓郎 よろしく哀愁

 

安井かずみがいた時代」は簡単に語りつくすことができない。

 

 

1968年にザ・フォーク・クルセダーズの「帰ってきたヨッパライ」が大ヒットした。そのメンバーだった加藤和彦吉田拓郎は同じ学年だった。

 

彼らの活躍に呼ばれるように、吉田拓郎は上京する。

 

1972年に発表した「結婚しようよ」の大ヒットで、吉田は一躍「フォークの貴公子」となった。加藤和彦はこの曲のアレンジを担当した。

 

安井かずみに代表される既成の音楽業界の生態系を破壊したのが、シンガーソングライターと呼ばれる拓郎たちだった。

 

同じ時代を生き、同じ人種に属する加藤和彦はまだしも、安井かずみは、こういった動きを明確に敵と憎みながらも、吉田拓郎を「歓迎するでも、拒否するでもなく」(島崎)受け入れた。

 

その後拓郎は公私ともにこの二人と交友を続けていった。

 

二人をともに知る吉田に対するインタビューは、ある意味、この作品の白眉ともいいうる。

 

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安井かずみについて彼はこう語る。彼は詞を他人に発注するときには、メロディを先に渡さない。まず詞を先に書いてもらうのだと前置きした後で、

 

「『戻ってきた恋人』の中に、♪小花もようの長いスカート♪ってフレーズが出てくるんですが、いいなぁって、もうピンときますよね。そういういい女を描くんですよ。この時代になっても忘れられないフレーズです。『よろしく哀愁』も素晴らしいです。酒飲んでいるときは果てしもなく我が儘で、嫌な面も不細工な面もダサい面もある女の人が、♪もっと素直に僕の愛を信じてほしい♪といった詞を書くことがプロの作詞家です。フォークソングの世界というのは自分の日常を歌にしているわけだから、プロの作詞家だと思って詞を書いている人は一人もいません。ですから自分のためだった書けるけれど、人のために詞を書くことはあまりないです。安井かずみは空想の世界を描いていて、その空想の度合いがものすごくいい。男たちが作り上げてきた世界の中で女性として作詞家の道を拓き、今でも輝いている詞を書いている。ワン・アンド・オンリーな人です。」

 

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さらに加藤和彦についても、日本でも唯一無二の才能と認めている。すべて何らかのコピーであるJポップの世界で、その元となる音楽がすべて彼の頭の中に入っていて、何を使えば、音楽がどのようによくなるかを熟知していたという。

 

しかし個人的には彼の優しさとそのコインの裏側である弱さも良く知り抜いていた。安井が加藤和彦を選んだというのを聴いて、加藤が安井かずみを選んだのはわかるが、「歴戦の兵のZUZUがなんでそんな頼りない男に熱をあげていたのか。さっぱりわからない。」

 

反対されればされるほど、意地になったのではないかと。

 

その後結婚した二人がぎこちなく演じる「理想の結婚」の空虚さを身近に感じたのも吉田だった。

 

「家はまるでホテルで、まったく生活感のない空間でした。普通、夫婦で十年近くも暮らせばもうちょっと漂ってくるものがあるけれど、それがまるでない。もっと言えば、あの六本木の家には暮らしなんか存在していなかった。人間は、あんなところに長年いたら疲れてしまいますよ。」

 

才能を持ちながら、その才能の可能性を使いきれなかった加藤の突然の再婚や自殺は身近だった吉田をも驚かせることになった。そして一言の相談もなかったことに、軽い憤りと寂しさを隠さない。

 

インタビューを締めくくる、彼のこんな言葉が切ない。

 

「あの時代を東京で遊んでいたヤツらって、みんないいヤツでニコニコしていたんだけど、どこか哀しいんです。その中でももっとも哀しいのが安井かずみでした。安井かずみというといくつもフラッシュバックしてくる映像があって、お前、哀しすぎるよというのがありますね。愛しくて、可愛いひとです。」

 

 

どこまでいっても、「よろしく哀愁」だ。