音楽の時間:やさしさに包まれたなら
日の出の時間が、5時前になってきた。
早起きな点だけは村上春樹と同じなので、4時過ぎに窓の外が明るくなってくると
身体と頭が急に起きだしてくる。
最近また地上波ラジオを聴くようになった。
ポッドキャストや記事の読み上げアプリに一気にハマッた反動もある。
ある意味、このハマるというのは大事だ。一つの方法や状況の限界のようなものが見えてくるからだ。
リアルタイムではなく、オンデマンド性が魅力のポッドキャストだが、そこを追及してみると、不思議に、リアルタイムというものの持つ親密性が懐かしくなった。
テレビがオンデマンド化することで、失われた親密性は、リアルタイムのラジオが代替してくれていた。
内容の稠密度の高さで、ポッドキャストにハマった結果、ラジオのリアルタイム性による親密性が失われた。
難しい言葉を使う必要がない。なんとなく寂しく、物足りない感じがするということだ。
スマートフォンで見るツイッター、フェイスブックのようなテキスト的親密性では埋められない一種の身体性のようなもの。
やはり今、この瞬間に発信されている肉声というものは魅力的なんだ。
早朝のラジオで懐かしいのは、人気の受験用ラジオ放送が終わったあとに、日本のポップスを流していた30分番組だ。名前は忘れてしまった。
部屋の窓の外に広がる早朝の空を見ながら、初めて、ユーミンの「やさしさに包まれたなら」を聴いたときの衝撃は今でも覚えている。
新しい音楽はいつもラジオを通じてやってきた。
ラジオ、ポッドキャスト、ソーシャルメディアなどが共存する錯綜した環境の中で、どんな新しい親密性が生まれてくるのだろうか。
新しい親密性は、リアルタイムのラジオが持つ、懐かしい経験の延長上にあるような気がしている。