理想の人生と幸福な人生
「理想の人生」と「幸福な人生」というのはどこか似ているようで、微妙にニュアンスが違うようだ。
理想の人生は、他人からの視線がどこかに交じっている気がする。
あの人の人生は本当に理想的だったよねと、あとでいわれるというような人生。本人がどう思っていたのかは定かではない。
自分でも完全に満足していたのかもしれないし、少し、傍の目を気にしていたのかもしれない。
でも幸福な人生というのは、傍がなんと言おうと、満足の行く人生だったという語感がある。少なくとも僕にはそう聞こえる。
どちらがいいか。断然、僕は、幸福な人生がいい。エゴイストだねと言われるだろう。でも、自分にとって幸福な人生がいい。
ただ物事はそんなに簡単でもなく、本当に単独で幸福だと思えるかという話になる。
村上春樹の理想的で幸福な人生も、不特定多数の読者というものとの対話を前提にして成り立っているはずだ。それが何百万人なのか数十人なのかを別にして、メッセージを送るということは、独り言のように見えて、実は独り言ではない。
朝の山手線の中で、満員の苦(不全感)の空気に押しつぶされそうになりながら、そんなことを考えている。
それとは関係なく、東京はただただ気持ちの良い青空が広がっている。