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21世紀ラジオ (Radio@21)

何かと気になって仕方のないこと (@R21ADIO)

podcast の時間:携帯ラジオは死なない(か?)

年季の入ったラジオファンだ。子供の頃から、携帯ラジオで、落語を聴いたり、ドラマを聴くのが何よりの喜びだった。英語が好きになってからは、FEN(今はAFNとか言うらしい)ファンになった。

 

一時期、テレビ番組の音声まで聴こえたのだから、寝ながら族だった僕にとっては最強のツールだったのだ。

 

ところが、理由はわからないが、テレビ番組の音声が聴こえなくなった。スマートフォンで番組を配信する障りになるとかいう誰かの浅知恵だったんだろうか、結局は、誰のプラスにもならないが、特定の人のマイナスになっただけの動きだったような気がする。

 

その後、スマートフォンRadikoやその他のアプリが登場した。音質の圧倒的な良さもあって、ここ数年、携帯ラジオを携帯することがなくなった。SONY製品が一切身の回りからなくなった。象徴的な気がした。

 

さらにPodcastというものの登場で、テレビ同様、視聴が時間に縛られることがなくなった。

特に、英語で聴けるPodcastの大膨張が、年甲斐もない、リスニング能力強化への野望と一致し、リアルタイムでのラジオ視聴がなくなっていった。

 

英語で聴けるPodcastは、言ってみれば、金のかかった映画のようなものだ。それが量産されれば、通常のラジオ番組の二次利用に過ぎない日本のPodcastが駆逐されるのも不思議はない。唯一の障壁は相変わらず言語の壁だ。

 

英語のPodcastのリスニングの質が高まるか、何らかのTranslation(逐語訳という意味ではまったくない)という機能が誕生すれば、この状況は激変する。

 

災害時のために、とりあえず、カバンには入れておくかという程度の居場所になりそうだった。

 

ところが、最近、再び携帯ラジオを使うようになった。

 

スマートフォンのキャリアから、容量制限のようなメールが届くようになってからだ。

 

後200mbで通常速度での利用には追加料金がかかりますという例のアレだ。

 

Radikoも含め、無料WiFi環境のないところでは、ストリーミングが多くの容量を食うんだ。

ラジオを聴くタイミングというのは、しかし、Wi-Fi環境が完備している場所にはない。

これもあって、ダウンロードして聴くPodcastと携帯ラジオが共存する余地ができたのである。

これも一過性のことかもしれない。しかし生活習慣というのは案外、こういったテクノロジー環境の変化でミクロな影響を受けるのだということを実感した。

 

そしてミクロな影響の蓄積によって、浅知恵の経営行動はこっぴどく仕返しをされることが多いのも事実だ。

 

trailblazing.hatenablog.com