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21世紀ラジオ (Radio@21)

何かと気になって仕方のないこと (@R21ADIO)

Redditの歴史 その7;崩壊の不安、売却というオプション!

起業というのは不安の連続であり、不安こそが日常なのだ。普通の人間にとってはありえないようなテンションとフラストレーションが続く。スタートアップというのは、そういう連中ばかりが集まっている不思議な空間なのである。でも心中はいつも穏やかではない。Redditも例外ではなかった。

 

 

 

 

Subredditsという機能が一世を風靡しはじめた頃も、Redditの若者たちの生活も少しずつ変化していた。

 

最初の夏が終わるころに、AlexisとSteveはMedfordのアパートを出て、マサチューセッツ州SomervilleにあるY Combinator同窓生のChristopher Sloweのアパートに引っ越した。

 

Chrisは当時25で、Redditチームよりはいくつか年上だった。大学院に通いながら、立ち上げたMemampというスタートアップ企業で彼は働いていた。

 

このMemampがY Combinatorプログラムに受け入れられた。

 

しかしすぐに壁に突き当たった。

 

彼のアパートが新しいRedditの拠点となり、結局、Chrisは事実上チームの3番目のメンバーになった。

 

「二日続けて、Redditが6時半にクラッシュして、7時に起きた僕がSteveを起こすことになった。二日目にSteveを起こすと、Redditを再起動させる方法を教えられ、僕が再起動させることになった。」

 

Chrisは、大学院在籍中という理由でRedditに加わるのをためらった。Steveが結局、彼を説得して、11月にChrisが最初の従業員になった。

 

3人はこの部屋で、午後の9時から翌朝の1時か2時まで働いた。アパート全体が若干傾いでいたので、テープで床にくくりつけられた椅子に座っての作業だった。そして一番年上のChrisが眠ると、あとの2人は朝の6時までWorld of Warcraftのゲームに興じた。

 

Chrisが朝、大学院へ行く頃に、創業者たちはベッドに入った。そしてAlexisとSteveは午後2時か3時に起きだして、また同じようなルーティンを繰り返した。

 

 

Chrisは当時をこう振り返る。

 

「他人と付き合っている暇がないという事実に気付かなかった。単純にソーシャルな生活を営む時間がなかったからだ。」

 

Aaron Swartzが4番目にチームメートとして加わった。Aaronは当時19歳になったばかりの若さでY Combinatorのプログラム入りした。若いけれど、彼はすでに一定の評判を確立していた。ティーンエージャーの頃に、ニュースフィードの普遍的なツールで、のちにCreative Commons入りしたRSS作りを手伝ったのだ。

 

彼はウェブサイト構築用のウェブサイトであるInfogamiで働くためにY Combinatorに加わった。そしてのちに、この会社をRedditと合併し、Redditの創業者たちとそれぞれのサイトの立ち上げを協力することにしたのだ。

 

2006年2月に、Aaronは、ただでさえ狭いChrisの3ベッドルームのアパートに転がり込んだ。この年の後半に買収されるまで、Redditの従業員はこの4名だけだった。

 

SteveとAaronは狭い部屋に一緒に住んで、すぐに親しくなった。

 

Steveにとっては、Aaronは弟のようなものだった。

 

彼らはAlexisが午後遅くに現れるまで、一日中一緒に働いた。Alexisはボストン中のあらゆるところに宇宙人のロゴ入りのステッカーを貼りまくったり、かたっぱしからメディアの人々にアプローチすることで、Redditをプロモートするための責任を果たそうとした。

 

Redditは2006年にいくつかのメディアで取り上げられた。しかしいまだにメディアのお気に入りはDiggだった。

 

水面下では、多くのドラマがあった。

 

ローンチの1か月後、Alexisのガールフレンドがドイツで事故にあり、昏睡状態に陥った。その夏の終わりに、彼の母親が末期の脳の癌であることを知らされた。数年後のインタビューに答える彼の声は、彼女の病状を語るときに言葉に何度もつまった。

 

病院での診察の後に、僕の顔を見て、ママが最初に言ったのが、ごめんねだった。そういう女性だった。僕が自分の夢をかなえること以上に何もいらないという人だったとAlexisは言う。

 

Redditの創業後の数か月という重要な時期に、Alexisは起業の重荷と家族の問題を同時に対応しなければならなかったのである。

 

「ママのベッドの横で、ラップトップを抱えて、僕は何時間も過ごした。ママの強さと愛情に何度も励まされた。そして僕には前に進む以外になかった。」と彼は言う。

 

 

Steveもこの当時をこう記憶する。

 

「彼は家に帰らなければならないことが多かった。これは間違いなく、彼にとって重荷だった。」

 

2006年の春に、Chrisはガールフレンドと一緒に住むために新しいアパートに引越しをした。そして自分のPhDの完成により多くの時間を使うようになった。Aaron、Steve、AlexisはDavis Squareの別の3ベッドルームのアパートに引越しをした。引越しの後、Aaronの行動は変わった。

 

一日中寝室から出てこなくなったのだ。彼に近い人は、彼はRedditに比べてInfogamiに弾みがつかないことに苛立っていたという。

 

2006年5月27日の個人のウェブサイト上のブログで、ブログを書き始めるということを皆にからかわれるようになる前に、彼はこんなことを書いている。

 

「僕はプログラマーになりたくない。おそらく、この決定によって一人の平凡なライターを生み出すために、社会は一人の偉大なプログラマーを失うのかもしれないが。そうだとしても僕は書きたい。書くということは、あまり重要で、プログラミングはあまりに楽しくない。」

 

Steve曰く、(当時は)

「崩壊寸前だった。Diggは僕らを攻撃しつづけていたし、僕たちがやっているのと似たような大量なサイトが存在していた。」

 

とはいえ、とにかくRedditの運用を続けるしかなかった。

 

「僕、Alexis、Paulは、会社を売却しなければ、もう終わりだという結論に達した。崩壊する前に、資金をいくらかでも回収しようということになったのである。」

 

全員賛成というわけではなかった。

(その7 以上)