宗教の時間:山下良道の声
山下良道という僧侶がいる。
彼は2006年に日本に帰ってきてから、自分の声で一つのことを語り続けている。
死んだら終わりの命から、死んでも死なない命への世界観の転換である。
霊性ということに対して、否定的な感覚が先走るのが、近代的ということらしい。
しかし、皆気づいているんじゃないだろうか。世の中は苦に満ちているということ。
そこで人間の生き方は二つに分かれる、仕方がないから、生きている間だけ、楽しもう、苦しみなどは忘れて生きていこう、そして生きられる時間をとにかく長くしよう。
もう一つの生き方は、死んでも死なない命を求めて、今、この瞬間、存在全体に繋がっていくこと。
彼はそれを印象的な青空に繋がるという言葉で表している。
死んでも死なない命などというと、気持ちの悪いオカルト、新興宗教という印象を持たれるリスクが高い。しかし、彼は、大学でフランス哲学を学び、アメリカでアメリカ人に禅を教え、ビルマでテーラワーダの瞑想の修行を行ったという稀有な経歴から生まれる、理性的な論理と、わかりやすい言葉と、良く伝わる声で、南伝仏教、チベット仏教、北伝の大乗仏教の新しい統合を仏教3.0という仏教思想のもっとも深いところで伝えてくる。
それを10年近く、毎週続けているという持続する意志。
2年前に書店で何の気なしに、手に取った新書がきっかけだった。
この本で知った毎回2時間近くの法話のポッドキャストを以来ずっと聴き続けている。
それどころか、2006年にさかのぼるすべてのアーカイブまで聴きつくしてしまった。
それほど、法話の魅力があったということもあるが、反面、それだけ、僕の苦の状況というのも馬鹿にならないということなのだろう。
いずれにせよ、毎週、僕は、日曜日の夜、一法庵の山下良道のポッドキャストを待ちわびている。
自分の心の拠り所といってもいいくらいかもしれない。
このポッドキャストを聴いたからといって、僕の今の苦(ままにならぬ人生)ということが変わったわけでもない。
瞑想という行を始めたわけでもない。
自分の不全感のまわりに一種のスペースが生まれて、呼吸がしやすくなったような気もする。
一瀉千里にすべて解決するのではない。確信というには程遠いが、彼が青空と呼ぶものが存在し、いつかそれに繋がることができるのかもしれないという希望が生まれだしているのも事実だ。
だから、山下良道の声はおすすめなのである。
今週は「死んでも死なないマインドフルネス」
15/04/19 死んでも死なないマインドフルネス | 一法庵