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Jay Z 学生に夢を語る:Clive Davis Institute of Recorded MusicでのQ&A

お金を払ってでも聴きたい音楽があるか。iTuneのようなダウンロードサービス、Spotifyのようなストリーミングサービスが登場する以前に、僕は、既に、前ほど、CDを買わなくなっていたし、コンサートへ行く機会も減っていた。

 

インターネットというものに、そのShut-In(引きこもり)を促進する側面があるのは事実だ。

 

もういちど僕は、音楽を、「主体的に」聴くようになるだろうか。その時、音楽と僕の間のかかわりは昔のままなのだろうか。

 

Tidalが気にかかるのはそんな個人的な興味から発している。

 

うまく行かないことはいくらでも「合理的な」説明ができる。うまく行くことを万人に説得することなどできない。将来何が起きるかは、結局は、思い込みであり、幻想であり、幻想共有ができるかどうかだ。

 

タイトル数が少ない、高音質に興味を持つ視聴者はどれだけいるのか。エリートミュージシャン以外には、Spotifyの方がいいんじゃないのか等々。

 

Tidalを他のストリーミングサービスのように音楽ビジネスの中の配信部分での新しい選択肢だと考えれば、そういった現実を直視した批判はいちいち思い当たる。

 

しかし、Jay Zは、音楽産業のデジタル配信の部分にだけ関心があるわけではないと繰り返す。また、単に、自分のレーベルであるRoc Nationがストリーミング型配信サービスも行う総合音楽会社になることを目的としているのでもないと繰り返す。

 

アーチストがよりFair Shareを受け取れるような総合プラットフォームを目指す。全貌は、明確に明かされているわけではなく、おそらく、今後の様々な対話の中で、自然と形成されていくのだろう。

 

アーチストのためと主張することで、エリートミュージシャンの虚栄に過ぎないという類の批判的発言なども多く存在する。しかし、僕は、この動きを好意的に見たい。彼がアーチストのためと発言することは、とりもなおさず、音楽のためにということであり、音楽のためにということは、そこにリスナーが存在することは当然なのである。

 

まだ発表後まもないこともあって、その本当の全貌は明らかになったとは言えない。

Jay Zが何を思って、今回の動きに出たのか。

 

4月初頭、Tidalの記者会見後、すぐに、Jay ZはClive Davis Institute of Recorded Musicを、Tidalの経営をゆだねているVania Schlogelを携えて訪問した。

 

Tidalについて、学生たちから質問を受けるためである。

 

そのTranscript(筆記記録)が公開された。

http://www.thefader.com/2015/04/01/the-full-transcript-of-jay-zs-qa-at-the-clive-davis-institute-of-recorded-music

 

Jay Z自体が、Tidalについてどのように考えているかがよくわかる良い情報だ。量的にあかなり長いので、全体をじっくりと読みこむことはできていないが、先ほどの総合的音楽プラットフォームということで彼が何を考えているのかが、よく現れている部分があった。

 

Tidalはヒップホップカルチャーにどのような影響を与え、より高みへと押し上げることができると思うか?

 

この質問に対して、Jay Zは、こんな風に答えている。

 

(直訳ではまったくなく、意訳も良いところなので、是非、上記URLに行って、原文を味わってみてほしい。以下は、僕が感じたJay Zのメッセージだと思ってくれればありがたい。)

 

《Tidalが有名になりさえすれば、実際のところ、俺たちはまだ無名だ、なにせ、まだ3日しかたってないんだから。Tidalが本当に良い音楽、良い音を求める人にとっての行くべき場所であることが理解されたらなら、そして一定以上のクオリティを期待することができる場所であることがわかったなら、人々はここを音楽を聴くためだけの場所とは思わなくなるはずだ。こういう聖地(destination)があれば、アーチストたちもあの手この手を使って、人気を集める必要がなくなる。よい音楽さえ作れば、ここに音楽の価値を求める良いリスナーが集まってくることになる。

 

ここを創造性が最大に発揮できる場所にしたい。

 

今では、もう不可能に近い演奏時間が18分間の曲も生まれ、それを楽しむことができる場所だ。Like A Rolling Stoneのような名曲がまた生まれることができて、それに触れられる場所を。

 

いったんそういう場所にさえすれば、アートと音楽は自分のやり方で繁栄することができる。

 

ここではアーチストが前面に立つ。アーチストがこの会社を所有する。クールだろう?

 

あんまりいいたとえじゃないが、マイケル・ジョーダンから直接特注のスニーカーが買えるならばそうしたくないか。俺たちのやりたいのはそういうことだ。

 

音楽をアーチストから直接買う。そして今よりずっと良い関係を彼らと持つことができるようになる。そうするために曲以外にも提供できることがあるはずだ。俺たちはリスナーともっと対話を持つようになるだろう。リスナーがどんな音楽が好きかを聞いたり、リスナーに、今まで聴いたことのない新しい音を紹介するというような。

 

「この端末を買えば、この曲がきける、このアプリをダウンロードすれば、この曲がもらえる。」こんな淋しい話はやめにしよう。音楽を過小評価すべきじゃない。俺たちはみんな音楽を愛しているんじゃないか。

 

Tidalはそういう意味での全体空間(holistic space)を目指す。単にデジタルの曲提供だけじゃなく、ライブコンサート的なこともその射程には入ってくる。曲だけならば、無料プラットフォームを使うことができるが、そういうことも含む、音楽の持っている総合価値は得られないだろう。俺たちが提供したいのはそういう音楽の持っている総合価値なんだ。》

 

僕はこのメッセージを読みながら、Jay Zの頭の中のモヤモヤとした星雲状態の中で、トップミュージシャン、無名のミュージシャン、それをサポートするリスナーたちの新しい関係性がグツグツと沸騰しながら、形を見せ始めているような気がした。

 

音楽というのも、演奏者と聴き手と単純に二項対立的に考えるというのも、ある意味では、物理的メディアに録音するというテクノロジーが生み出した歴史的に期限のある考え方だ。その考え方の賞味期限は失われれば、当然、音楽を楽しむという文化の構造も変化していくことになる。最高の音楽を楽しみながら、それぞれが、それぞれの制約条件の中で、一定の充足感を達成するコミュニティの創造。新しい共同体、共同性という意味でも、やっぱり、Jay Zはやっぱり、良い意味でのマルキストなんだなあと思った。おもっきりの買い被りかもしれないけれど。