21世紀ラジオ (Radio@21)

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インターネットが書物の境界を曖昧にする

あけましておめでとうという言葉を、年賀状や、電話ぐらいでしか交信されなかった時代はとうの昔になり、Eメールでコミュニケーションしあうのも、かなり普通のことになった。

実際、最近はフェイスブック(そんなに熱心ではないですが)の方がいわゆる知り合いの動きはわかりやすいようで、そこに謹賀新年と書き込んで、知り合いがいいねボタンを押すというのがそのうち普通になるのかもしれない。

いずれにせよ、いいか悪いかは別として、インターネットというのは、コミュニケーションの流れのある部分を変化させたということだけは事実だ。

ただ変化した部分が、自分の人生にとって本質的なところなのか、年賀状的な部分を変化させただけなのかは、議論のいるところだ。

ところでニコラス・カーという評論家が自分のラフタイプというコラムで、書籍のデジタル化というものが、書籍を基礎に置いて展開してきた文化に甚大な変化を及ぼし始めているというようなコラムを書いていた。

http://www.roughtype.com/archives/2011/12/from_movable_ty_1.php

彼は、Elizabeth Eisensteinという歴史家に依拠して、グーテンベルグの印刷機のもっとも重要な貢献は、印刷された書物の不変性fixityという概念を導入した点にあると主張する。


「オリジナルな書物を腐食から守る技術の導入によって、歴史記述に対してより堅固な基礎を与え、知識についての記録の信頼性を確立することで科学の普及に貢献した。さらに、印刷技術は言語から法律にいたるまであらゆるものの標準化を加速した。」

印刷された書物の保存性はグーテンベルグの発明のもっとも重要な遺産であるというのが、この歴史学者の主張だ。

しかしいったんデジタル化されると、書かれた文章はその不変性というものを失ってしまうと話は続く。

デジタルテキストを変えるための費用は基本的にゼロなので電子書籍が印刷本の場所を奪っていくにつれて組み換え可能な文字(MovableType)は組み換え可能なテキスト(Movable Text)に置き換えられていくだろうと彼は予想する。

その後、このコラムでは、政治的、経済的な長短を説明していくのですが、そのあたりは
さほど面白くないが、最後に、最近亡くなった小説家のジョン・アップダイクの言葉を引用するところは、より本質的な点だと思う。


アップダイクは、死ぬ前に、書物の最末端(Edge)のことを良く語っていたようなのだ。文芸作品にその外延とIntegrityを与えていた境界のことで、何世紀にもわたって印刷されたページは消し去ることはできないという信憑の源泉にもなっていたと。

この最末端の存在が、書物の確かさを与え、流行り廃りや時間による陳腐化から守ってきたのである。しかし書物のデジタル化によって、この境界線が曖昧になっていくことは、文芸とか文化というものに甚大な影響を及ぼすことをアップダイクは懸念していたのかもしれない。

インターネットというメディアの進展は、コミュニティの形成のされ方から、人間の思考の仕方に至るまで、見えにくい形で我々の生きている世界を変化させていっているのだろう。