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John Brockman 第三の文化(1991)

ジョン・ブロックマンのEdge.orgの活動宣言のような「第三の文化」(1991年)という20年前の文章がいい。

Edge.orgに繋がっていく、志の強さのようなものがにじみ出ている。

(圧倒的な意訳なので、原文をご確認ください。)

第三の文化(1991年)
http://www.edge.org/3rd_culture/

John Brockman第三の文化というのは、人間とは何か、人生の深い意味は何かなどについて、伝統的な知識人にかわって、経験主義的に、その論文を通じて明らかにする科学者やその他の思想家によって成り立つものである。

この数年で、アメリカの知的生活における伝統的な知識人の役割が周縁に追いやられつつある。50年代のようにフロイド、マルクス、モダニズムを知っていれば、十分とは90年代の知識人はいえないのである。伝統的な知識人の側でも、分が悪いせいか、反動的になり、我々の時代の本当に重要な知識人たちが達成したものを意図的に無視するようなところがある。

伝統的知識人は、科学というものを斥け、非実証的な性格が強い。彼らの内輪文化独特の言葉遣いがあり、自分たちの文脈の中でしか議論を行い傾向が強い。しかも、彼らの議論をじっくりと吟味してみると、過去に誰かが言ったことに対するコメントに終始しており、コメントに次ぐ、コメントのスパイラルの中、最終的には、現実というものがどこかに消えてしまっているのだ。

1959年にC.P.スノーは「二つの文化」という本を出版した。一方に、文科系の知識人がいて、他方に科学者がいる。彼は、1930年代に文系知識人(主として文学者で構成されている)たちが、自分たちのことだけを知識人と呼ぶようになったことを驚きをもって描いている。こういった人々の知識人の定義によれば、天文学者エドウィン・ハッブルや、数学者のジョン・フォンノイマン、サイバネティックのノーバート・ウィーナー、物理学者のアルバート・アインシュタインニールス・ボーア、ヴェルナー・ハイゼンベルグなどのような科学者は、いわゆる知識人には入らないことになるのだ。

文系知識人はどうしてこれでいいと考えたのだろうか。

第一に、科学者たちは、自分の仕事がどういう意義があるかについて効果的に説明することができていなかったのも事実である。

第二に、多くの傑出した科学者の中にはArthur EddingtonやJames Jeansのように一般向けの本を書く人たちもいたのだが、こういった作品は自称知識人たちからは一切無視されることになった。

そのためこういった本の中で提起されている考えの価値や重要性はいわゆる知的活動の中ではまったく目立たない状況におかれていたのである。当時の有力な雑誌や定期刊行物が科学をテーマに取り上げることはなかったのだ。

1963年に「二つの文化」の第二版を出版された際に、スノーは「二つの文化;再考」という章を付け加えた。この中で彼は、未来に対してかなり楽観的だった。曰く、新しい文化、「第三の文化」が出現し、文系知識人と科学者との間のコミュニケーション上のギャップを埋めてくれるのだと。

スノーの「第三の文化」は、文系知識人と科学者が対話を始めることを想定していた。第三の文化という言葉を借りてはいるが、私がこの言葉で想定しているものは、スノーとはまったく違っている。

文系知識人は科学者とは対話しない。むしろ科学者は直接に一般読者とコミュニケーションを行うのだ。

伝統的な知的活動の持つ階層ゲームを、第三の文化に属する思想家たちは好まない。ジャーナリストが少々高尚に書き、大学教授たちがわかりやすく書くというような仲介者を排除して、こういった人々は、自分たちが行っているもっとも深い思考に、知的な一般読者層が直接に理解できるように表現しようとしているのだ。
最近、多くの科学書の出版が成功している。古い知識人たちは一様に驚きを隠さない。でも驚いているのは彼らだけである。驚くばかりか、現実に起こっていることを認めようともしない。曰く、こういった科学書の成功は例外中の例外だし、購入されても、決して読まれることはないはずだ等々。そんなことはない。「第三の文化」とでも名づけるべき、新しい文化活動の背景にあるのは、多くの人々が、新しい、本当に重要な考えを吸収したいという知的貪欲さを持っていることの証なのだ。

「第三の文化」に属する筆者たちが、多くの読者に受け入れられているのは、ただ単に、彼らがわかりやすく書くのが上手だからではない。いまでは科学と呼ばれてきた分野が、公的な文化、普通の人々が関心を持つ領域になったのだ。

Stewart Brandは次のようなことを書いている。
「本当の意味で新しいといえるニュースは科学に関するものだけである。新聞や雑誌をざっと眺めてみるだけでいろいろなことがわかる。紙面を埋めているのは、昔ながらの誰がこういった、ああいったというような、使い古された政治、経済のドラマや、見かけの新奇さだけを競う悲喜劇ばかりだ。テクノロジーでさえ、本当に科学を知っているものからすれば、予測可能なものばかりが取り上げられている。人間性というのはそんなに簡単には変わらないものであるともいえるかもしれない。世界を不可逆的に変化させるのは、科学や、科学が生み出す変化だけなのである。我々は変化するスピードこそが最大に変わったといえるような時代を生きている。かくして科学がもっとも重要なストーリーになったのである。」
過去数年、新聞や雑誌をにぎわした科学的トピックを列挙してみることにしよう。
分子生物学人工知能、人工生命、カオス理論、超並列処理、ニューラルネットインフレーション宇宙、フラクタル複雑適応系超ひも理論、生物学的多様性ナノテクノロジー、ヒトゲノム、エキスパートシステム、断続平衡、セルオートマトン、あいまい理論、Space biosphere, ガイア仮説バーチャルリアリティサイバースペース、テラフロップコンピュータ等々。

なんらかの資格や法律で、上記のトピックが選ばれているわけではない。「第三の文化」の強さは、まさに、どういう考えをまじめに取り扱うかについての意見の違いに対する寛容さにあるのだ。内輪での論争に終始していた特権的「知識人」たちのどうでもいい論争ではなく、「第三の文化」が達成しているのは、地球上の生きとし生けるもの皆に影響を及ぼす叡智なのである。

知識人の役割は、物事を知っていることではなく、自分の生きている時代の思考のあり方を形作ることにある。
知識人は物事を総合するオーガナイザーであり、広報官であり、よきコミュニケーターでなければならない。
1987年の「最後の知識人」という本の中で、文化歴史学者のRussell Jacobyは、在野の知識人が、血の薄い象牙の塔の研究者たちに置き換えられていくことを嘆いた。彼はある意味で正しく、ある意味においては間違っている。「第三の文化」に属する人々は、新しい公共のための知識人なのだ。

アメリカは今、欧州とアジアにとっての知的な苗床になっている。この流れは第二次世界大戦前にアルバート・アインシュタインや他の欧州の科学者が亡命したことに端を発している。そしてスプートニク以後の、冷戦の影響による米国の大学における科学教育ブームがそれに拍車をかけた。
「第三の文化」の登場によって、新しい知的言説の様式が誕生し、重要分野におけるアメリカの優位性が再確認された。

人間の歴史の中では、常に知的生活は少数の賢い人々が他の普通の人々のために行うものとされてきた。
今我々が目撃しているのは、たいまつが、一握りの思想家、伝統的な知識人から、新しく出現している「第三の文化の知識人」へと受け渡されている光景なのである。
(以上)