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歴史小説は役に立つ(ジョセフ・フーシェ)

歴史小説なんか読んで、何の役に立つと思わないでもない。ただの時間潰しといえばそれまでだが、そうとも言い切れない瞬間があるのが、人生の面白いところである。

普通に働いている人間にも、魔の瞬間というようなものがある。成功の瞬間に自らを滅ぼすような判断がするりと忍び込んでくるような瞬間だ。とりわけ、運命というのは、
意地が悪いもので、多くの人は自らの得意とするところで、大きく転んだり、自らが徹底してきた原理原則を一度だけ踏み外したことで滅びが始まるのだ。

最近の新聞を読んでいても、そんな事例で事欠かない。

そんな魔の瞬間を避けるためにも、歴史小説というのは馬鹿にならない。

シュテファン・ツヴァイクの「ジョセフ・フーシェ」(岩波文庫)という本がある。

これは、読みながら、思わず、まわりを見渡してしまうような本だ。こんな本を読んでいることを他人は気づかれたくないというような。

革命、反動、ナポレオン、そして王政復古の時代にも等しく重要な地位を保ち続けた稀代の怪物、史上最悪の変節漢の内面を大評伝作家ツワイクが縦横無尽に描いている。

評伝は、評伝作家の腕と対象人物の人生の豊穣さの共同作業だ。どれほど辣腕の作家の手にあっても、対象の人生に色彩がなければ、極上の評伝はできあがらない。

ジョセフ・フーシェは極上の葡萄と辣腕のワイン職人の見事な競演だ。

革命の中で頭角を現し、ロベスピエールと対決し、反動の時には、密偵として、悲惨の中を生き延び、ナポレオンの台頭の中で再度、権力を握り、その没落の中でも、地位を維持し、王政復古においても、主要な役割を果たした男。

限りなく無性格であり、「誰かある人に、あるいは何物かに、あとで取返しがつかないまでに完全に結びついてしまうということに対する嫌悪の情」を持つていたフーシェ

「自分の実力は遊ばせておいて、その間じっと他人の過失をうかがっている。他人の情熱は燃えるだけ燃えあがらせておいて、自分はじっと待っている。そして相手の情熱がついに消耗しつくすか、あるいは抑制しきれずに欠点を暴露すると、その時はじめて彼は情容赦もなくつっかかってゆく。 いかなる威嚇もいかなる憤怒も、この魚のように冷たい男を戦慄さすことはできないであろう。ロベスピエールとナポレオン、この二人はともに轍にくだける水のように、この泰然たる平静さに粉砕されたのだ。前後百年にわたって、すべての人々の激情は消えていったが、情熱を持たぬただこの男一人が、冷ややかに傲然とかまえて生きぬいたのである。」

こういった保身の天才のような男が、決して、チェーザレ・ボルジアや、タレーランのような冷徹かつ貴族的な性格でなかった点もまた、この男の気になる点である。

この孤独な男は、家庭にあっては醜い妻に限りない愛情を注ぐ、優しい良人であり、父だったというのである。

こういった彼のプロフィールが、ビジネス社会、企業社会で戦う男たちの姿にかぶってくる。

「彼とてもつねに権力は持ちたい、それどころか最高の権力を持ちたいのだが、多くの人とは反対に、権力の意識だけで十分なので、権力の微章や服はいらないということ、これがジョゼフ・フーシェの権力の最後の秘密である。フーシェは度はずれなほど極端なまでに野心満々たるものがあるのだが、名声を求めているのではない。野心家ではあるが虚栄心は持たないのだ。正真正銘の微章が好きなのではない。(中略) 輝かしい栄誉も人気というあやしげな幸福も、よろこんで彼は他人にくれてやる。情熱を達観し、人々を左右し、表面上の世界の指導者を実際においてあやつり、自分のからだは賭けないで、あらゆるばくちのなかでも最高度の興奮を与えてくれる恐ろしい政治の博打をうつことで、彼は満足なのだ。」

人生そのものが、黒幕として生きるためのベストプラクティスのような、フーシェの人生が、唯一つの彼の弱さの中で崩壊していく様もあまりに人間的で哀しい。フランスが生き残るために必要な王政復古を成し遂げたという歴史的偉業を果たしながら、新体制の中に、つまらぬ地位を求めることで、歴史から常に軽蔑されるという人生を選び取ることになる。 まるで、企業人の出処進退のマニュアルのようなエピソードに満ちた、こんな本を読んでいることは、あまり他人に気づかれたくない。