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21世紀ラジオ (Radio@21)

何かと気になって仕方のないこと (@R21ADIO)

マネーボールという映画を観た

映画化されたマネーボールを観た。面白かった。

ただ感動は、この原作本が出版されたときにあらかた感じていたので、それが映像化されたことによってさらにそれが深まったわけではない。

ソロモンブラザーズの債券部の内幕を書いたライアーズポーカーで鮮烈にデビューしたマイケル・ルイスの代表作が原作だ。

この映画の主人公GMビリー・ビーンの君臨するオークランドアスレチックス。我が愛すべき松井秀喜が属するチームである。

低予算で勝ちを集めるために、まるで、割安株投資ファンドのような理論で、MLBのクラブチームを経営するという話だ。

ビリー・ビーンは伝統的な野球関係者が盲目的に選手の価値尺度として前提している打率などの指標に依拠するのではなくハーバード出(映画ではイェール大学)の統計の専門家を雇って、あらゆる選手の属性とチームの勝利数の相関関係を統計的に追及し、従来の人々があまり重視してこなかった出塁率という数字がチームの勝利との相関が高いことを発見した。

映画の中で太っちょの愛すべき計算屋の青年が、「クラブは間違ったものを買っている選手を買うのではなく、勝ちを買うべきなのだ」と言うシーンがあったが、まさに、それがマネーボール理論の真骨頂である。

当然、風圧は高い。

ビリー・ビーンとその部下のポール・デポデスタがアスレチックスで行ったことは、いわば天動説を信じ込んでいる者に、地動説の正しさを訴える試みにも似て、ひどく骨の折れる作業だった。」(二宮清純

映画の中でも、古参のスカウトが、ブラッド・ピット演じるビリー・ビーンに、貴様は150年間の歴史を台無しにする気かと詰め寄るシーンがあるが、まさに異端者に向ける憎しみだ。

ビリーにはメジャーリーガーとしての成功体験がなかった。むしろ、野球王国の主観に踊らされて、選手としては不遇だった。野球王国の主観に対して、彼は数字という客観で挑んだのである。

太っちょの理論家は、出塁率を重視せよと高らかに叫ぶ。さらにバントは相手にアウトを献上し、盗塁はアウトとなる確率が高いのでアスレチックスはこれらの戦術も捨てた。

それを徹底した結果が、映画で描かれた20連勝なのである。

アスレチックスの監督でもあり、今回自己3度目のワールドシリーズ監督となり、引退を表明したトニー・ラルーサが、マネーボールについて、かなり批判的な意見を発表しているのが面白い。

http://www.nytimes.com/2011/10/28/sports/baseball/la-russa-disagrees-with-emphasis-of-moneyball.html

この映画は、アスレチックスの奇跡を、出塁率という数字の徹底と、ポンコツの捕手で出塁率の高かったハッテバーグの一塁コンバートにすべて還元している点でフェアとは言えないという意見だった。

曰く、無能な群像として描かれた古風なスカウトや、優柔不断な監督たちが伝統的な手法で育てたMiguel Tejada, Barry Zito、Eric Chavezなどの活躍が完全に無視されている点を批判している。

映画は、間違いなく、Moneyball理論を奇跡的連勝の唯一の理由であるという印象を与えている。

ただこの点も、Moneyball理論によってさらに解明されうる問題のような気もする。

映画の中で、マネーボール理論に目をつけたレッドソックスのオーナーのジョン・ヘンリーらしき人が、ビリー・ビーンを破格の報酬で引き抜こうとする。ただ彼はこのオファーを断る。

実際にもビリー・ビーンはこのオファーを受け入れなかった。その後レッドソックスはこの理論を活用して、ワールドシリーズの覇者となり、ベーブルースの呪いをついに克服することになる。

太っちょピータのモデルであるデポデスタはその後ドジャースGMになったように記憶する。

最近のアスレチックスはそんなに好調とはいえない。これも投資理論のことを考えれば当然で、割安銘柄探しをみなが使い出せば、掘り出し物が見つからなくなるのだ。

ヘッジファンドでお金をもうけたヘンリーがオーナーのレッドソックスマネーボール理論でワールドシリーズを制覇したが、常勝球団を作り上げるまでには至っていない。金満球団はレッドソックスだけではなく、ヤンキースも最近統計専門家を何十人と雇っているようだから、単純な統計分析で割安分析が可能だった時代は当に終わったのだろう。

ビリー・ビーンは、資本主義から借り受けたMoneyball理論で大きな裁定利益を獲得した。しかし、彼は、利益のために、異端者となったのではない。プロ野球の世界の主観が多くの若者の人生を歪めていったことに対する怒りと、達成されなかった夢の実現が彼の情熱の源だった。だからこそ、それが利益というものに直接に繋がる瞬間に、そのロジックを拒否した。

結局、彼も、お金を追及しているわけではないからだ。

この映画のほろ苦さも、ロマンチックさも、このあたりから生まれているのだろう。