21世紀ラジオ (Radio@21)

何かと気になって仕方のないこと (@R21ADIO)

ジョブスの本当の天才はどこにあったか(マルコム・グラッドウェル)

iPadに切り替えてから、ノートPCとタブレットはユーザーにとってまったく異なるタイプのデバイスであるということがわかった。ノートPC
はいくら軽量になっても、キーボードに支配されている。PCとはつまるところキーボードなのである。英語を読むにはPC環境の方が、辞書も内蔵されて
いるので、10数年、ノートPCを活用してきた。しかし本をメディアにしていた時代に比べると、英文の読書量は減った。ノートPCを使って読書をすると
いつのまにか翻訳に追い込まれていた。しかし逐語訳というのは、実は思うほど、知的ではなく、ある意味、流れ作業のようなものに陥りやすい。

昔のように本を読みながら、ノートにまとめて行くというときの方が、能動的な生産性があったような気がする。流れ作業、キーボードの支配がノートPCには内在していた。

ここ数日、ニューヨーカーのコラムをiPadで読んで、紙のノートにまとめている。そのためのノートも買った。これがなかなか良かった。特に、わからない単語は、長押しすると和訳が出てくるという機能は辞書機能としては完璧だ。

読んでいたのは、iPadの生みの親である今はなきスティーブ・ジョブスについてのマルコム・グラッドウェルのコラム The Tweaker:The real genius of Steve Jobs

http://www.newyorker.com/reporting/2011/11/14/111114fa_fact_gladwell

グラッドウェルが話題のベストセラーIsaacsonのSteve Jobsを読んで感じたこと。

Tweakerというのは、改良者というか微調整をするヒトというような意味だ。

グラッドウェルは、Raltz MeisenzahlとJoel Mokyrという学者による、英国で産業革命が起こった理由についての論文を引用している。

曰く、英国には他の国と比べて、熟練したエンジニアや職人の数が多かったことが理由であるというのが彼らの主張だ。

マクロな大発見を、より生産的かつ収益性の高いものに変えるためのミクロな改良に熱情を燃やすのがこういったTweakerたちなのだという。

ジョブスのことを一言で定義するならば、まさにこのTweakerという言葉がぴったりだというのがグラッドウェルの論旨である。彼の成功は、すべて、自らの大発見というよりは既に生まれた発明に対する徹底した改良に対する熱情によるものなのだ。

ジョブスという人の複雑さは、自分は改良者なのに、自分の成果物に対して他人が改良を試みすることは許せないことにある。

ジョブスは常にマイクロソフトビル・ゲイツを批判しつづけた。

ウィンドウズに対して自分たちのGUIに対するパクリだと公然とビル・ゲイツを批判したときのゲイツの反応が面白い。このあたり屈指のHumoristのウォレン・バフェットを
友人に持つゲイツの面目躍如である。

「そこは、ぼくと君の考え方の違いなんだな。ぼくはこういう風に考えるんだ。ぼくたちのご近所にはゼロックスという名前のお金持ちが住んでいた。ぼくがその家に盗みに入ってテレビを盗もうとしたら、もうとっくに君が盗んだあとだったわけだ。」

ゲイツは何も発明せずに、人のアイディアをパクっただけだから、今、慈善事業になど専心できるんだと、最後まで執拗に彼はゲイツに皮肉を言い続けた。グラッドウェルは、このことは、ゲイツを貶めるどころか、改良をし続けることにしか情熱を燃やせないジョブスの狭量さの証だとチクリと書いている。

まあいずれにせよ、こうしたTweakerのおかげで、ぼくも、また使い勝手に関するTweakを続けられるわけだから、ジョブスの狭さを嘆くいわれはぼくにはない。

iPadで読んで、ノートにまとめたメモを使って、こうしてパソコンの前でブログを書いている。これもまた一つのTweak行為なのだ。