今日も地震があった
朝地下鉄の中で、地震があって、駅と駅の間で、車両が停止した。あまり混んでいなかったの、皆、動揺もなく、新聞や、スマートフォンや、文庫本を読みふけっていたままだった。ぼくはディヴィッド・ボダニスの「E=mc2」というアインシュタインの発見についての文庫本を読んでいた。
エネルギーは質量と等価である。その持つ深刻な意味をぼくたちは、日々体験している。
ぼくたちの原発は、レベル7というチェルノブイリ同様の水準に達したらしい。それが、どのように自分たちの生活に影響を与えるのかということにいちいち不安を感じるのにも疲れてきた。
午後、高層ビルの会議室で、電力制限の中で、この夏までに事業をどうすすめていくかというようなミーティングをしていたら、みんなの携帯の地震警告音が次々と鳴り始め、ビルがそれなりに揺れ始めた。
さすがに、対話のスピードは落ちた。ただそこで起こった沈黙は、どちらかといえば、不安というよりは、こんな地盤の国でビジネスを続けるのも少々大儀な話だというような感じだった。
ミーティングの相手だった外資系企業には、昨日あたりから、救援物資。未ミネラル水1000本が届いているそうだ。
思わず、お互い苦笑いしてしまった。
快晴だが、どこか肌寒い一日。こんな日本で、こんな風にぼくたちの日常は続いていくのだ。