21世紀ラジオ (Radio@21)

何かと気になって仕方のないこと (@R21ADIO)

危機管理における当事者意識あるいは確信犯的意識について

最近は輪番停電と言わなくなったようだが、英字新聞ではRolling Blackoutという言葉を使い続けている。朝、首都圏のターミナル駅の雑踏を見ていると、この街で必要なのは、Rolling Blackoutではなくて、Rolling Commuting(輪番通勤)だと確信した。

節電というのが世の習いになると思われる時代の中で、一斉遠距離通勤というシステムはもう破綻している。でも、無理に、同じ時間に通勤する必要はそもそもない。会社が、一斉に従業員が会社に集まって、朝礼をやって元気よく仕事を始めるなんていうのをそろそろやめてしまえばいい。これは大企業に属していない、情報産業系の人間のバイアスが満載の発言であることは自覚してはいるが、相変わらず、殺人的に一方向にまなじりを決して歩いている多くの通勤客の姿を見ていると、(他人ごとではなくぼくもその中の一人)なんとなく馬鹿らしくなってきた。

地下鉄の中でヘラルド・トリビューンを開く。放射能汚染を懸念した各国の港湾当局が、検査を強化しているため、貿易、物流に多くの影響がではじめているという記事が目に付く。国内の野菜で発生している風評被害のグローバル版だ。

Ships that visit Japan are getting Geiger scrutiny(Bettina Wassener and Matthew Saltmarsh)
という記事。

問題は各国の港湾当局の検査の基準がばらばらなので、多くの国を経由して貿易を行う船会社にとっては、どのような基準でどのような検査が待ち受けているかがわからないという状態は大きなビジネスリスクとなっているということだ。

とにかく、なんとかしなくてはならない。

これだけの大災害となると、常になく新聞、雑誌を読むようになる。

いろいろ読んだけれど、週刊文春の「阿川佐和子のこの人に会いたい」の養老孟司さんのコメントがなんとなく一番刺さる発言だった。東京電力原発は実はやりたくなく、つまりは、割りに合わない仕事と考えていたが、原発は国策なので嫌々やらせれていたという深層心理が、東電の経営者の記者会見の表情の中に深読みしたこんな発言。

「確信犯がやらなきゃいけなかったんですよ。本当に日本に原発は必要だ、やらなきやならないと思っていて、かつ、原子力のことなら隅から隅まで知っているというやつが、その覚悟も知識もないやつが、安全です、と言っているだけの状態だった。自分の扱いきれないものを扱っちゃいけません。」

この確信犯的ではないということがずっと気にかかっていることだ。自分も、自分なりにとてつもないリスクに直面したことがある。そんなときに、それなりに判断を間違わずにいれたのは、先ず、最悪リスクをイメージして、それが起こったときに、自分にふりかかる悪いことに具体的に耐えるイメージをつくるという作業をしてきたからである。

国民にとってもっとも最悪なシナリオは、日本政府、監督官庁、東京電力において、こういった作業が完了していない可能性である。

彼らが想定する最悪シナリオが到底国民が許容できないものでも、とにかく、その線で物事を収拾しようという確信犯的決意のもとで、確信犯的に、確信犯的でない演技をしているというぐらいの方が安心だ。

こういう確信犯的であることを当事者意識と呼ぶ。そのあたりが一番心配なところだ。