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21世紀ラジオ (Radio@21)

何かと気になって仕方のないこと (@R21ADIO)

内田樹さんと養老孟司さんがAERAで「震災と日本」という対談をしている

AERA 2011年4月4日号の養老孟司さんと内田樹さんの「震災と日本」という対談が面白かった。こないだの品のない表紙には正直イラッとしたので、キオスクで買うときに少々むかついたものの、ツイッターできれぎれに出てくる内田さんではなく、ぼくが自分が考える上でかなり依拠してきた内田さん的ロジックを確認してみたいという欲求に逆らえなかった。

というような、まどろっこしいことはともかく、なるほどと思ったのは次のような件。
電力会社のシステムがまず電気系統からダウンしたという笑えない話に対して内田さんはリスクヘッジしないことを無意識に誇示しようとしたという見立てをしている。

《それに不幸なことに、原発に懐疑的な学者にしても、真剣にリスクヘッジを考えると「こうすればより安全に操業できる」という具体的提案をせざるを得ず、原発反対派からはたちまち「偽装した原発推進派」とみなされて叩かれる。そんなふうにして、原発の危険について現実的な感覚を持っている人たちが、原発から構造的に排除されていったのだと思います。》

また、現場と本部の亀裂や、科学技術への信頼については、秀才文化の責任回避が危機管理で不可欠の現場のリスクテイクをできないようにしていったと述べる。このあたりは大組織の生理のようなものに、日常的につきあわされている多くの日本人にはピンとくるところだ。

《でも、今回の破局で一気に評価を下げたのは科学技術そのものではなく、それをコントロールしてきた「日本型秀才」たちじゃないかと思うんです。秀才というのはつねに正解を出そうとする。だから、エビデンス(証拠)が示され、失敗したときの言い訳が準備されない限り、自己責任で重大な決断を下すことができない。フライングして、責任を問われることを病的に恐れる。それよりは上位機関からの指示が出るまで、黙って「フリーズ」している。今度のように、上からの指示を待たずに、現場の責任で決定を下さなければならないというようなときに、秀才たちは必ず決断の時期を逸する。》

全体に興味あれば、癪だけど、AERAを買うか立ち読みをしてください。
ツイッター的に部分引用されて増幅する内田さんよりは、やっぱりブログに長々と書いたり、対談でやたら語りまくる内田さんの方がその真意はつかみやすい。まあ、あたりまえのことか。ただ、ブログが大量に読まれているということとツイッターのフォロワー数が巨大であるということは、メディアという観点から見たその人の意味合いが質的に違うことが今回の危機報道の中でもわかってきたような気がする。