21世紀ラジオ (Radio@21)

何かと気になって仕方のないこと (@R21ADIO)

ニューヨークタイムス 当事者能力のない日本政府

政治は結果責任である。

現在日本政府は、原発事故に関しては、これをどのように収束させるか、避難勧告に伴う、福島県民の移動をどのように速やかに行うか、他の地域で生じるパニックをどうやって抑えるかというような優先順位を遂行しなければならない。

日本国民や、日本のマスコミ、海外政府、海外メディアは、一斉に、日本政府や監督官庁、東京電力の情報提供のまずさに対しての不信を高めている。

結果責任は自分が取るのだから、がたがた言うなというやり方も当然ありうる。しかし、日本政府や当局がとっているのは、そういった確信犯的なスタンスではないような気がする。

残念ながら、日本の政治学者、マスメディア、海外メディア、そして当の日本国民のかなりの部分も、この結果責任を果たしうる、日本政府の当事者能力そのものに対して疑問を呈している。

経験不足の民主党政府、自民党との協業の経験しかない官僚、監督官庁との間の適切な距離感を持たぬ大企業の間の押し合いへし合いによって、危機回避という目的遂行にとって、最適判断がなされ得なくなっていると。

そういう不信感についてにニューヨークタイムスの記事を要約してみた。(直訳でも全訳でもないことに注意。)

Dearth of Candor From Japan’s Leadership
日本のリーダーシップにおける率直さの欠落について
( HIROKO TABUHI, KEN BELSON and NORIMITSU ONISHI

http://www.nytimes.com/2011/03/17/world/asia/17tokyo.html
日本の原発事故についての対応を説明する政府、監督官庁、東京電力のウェブページの中で、決定的な供給不足なものがある。それが当の情報自体なのだ。

土曜日に日本の福島第一原発で爆発が起こったときに電力会社の担当者は当初いつもの曖昧で、控えめな説明に終始した。


東京電力は素っ気ない(curt)メモには、「大きな音と白い煙が、一号機の近辺で記録された。事態は現在調査中である。」と書かれていただけだった。

海外の原子力の専門家、日本のマスコミ、そして次第に怒りや狼狽を顕にしはじめた日本の一般市民までが政府と電力会社がこの核危機の中ですら、明確かつ迅速な情報提供を行わないことに不満を高めている。

別の報告の間の矛盾、曖昧な表現、基本的な事実についての質問を常に拒否する姿勢に対して、政府や電力会社の担当が、第一原発のリスクについて重大な情報の隠蔽や捏造を行っているのではないかという疑念を持ち始めている。

土曜日の爆発音と白煙はその後も続き、地震津波によって冷却システムが破壊された4つの原子炉のコントロールを取り戻すための必死の努力の始りを告げることになった。

その後5日間、危機的状況がどんどん増幅する中でも、責任逃れのような記者会見や、情報が不足している状況説明(briefing)が続いた。第二次世界大戦後、日本でこれほどまでに強力で、自分の意見をはっきり言うタイプのリーダーが求められたことはない。同時に、ここまで日本の政治システムの脆弱性や指導者不在であることが赤裸々らに暴露されたこともない。

地震津波原発事故と相次ぐ危機の襲来の中で、日本政府のリーダーたちは、十分に訓練されていると言えないスキルを必要とされるようになった。国民を鼓舞し、解決策を即座に作り上げ、強力な官僚群とどううまくやっていくかである。

このような試練の中で、日本政府の政治家たちは、東京電力にすべての情報を依存している。

政治家たちは情報に関しては、ほぼ完全に東京電力に依存し、説得力のない形で提示された報告をただ受け取るだけの状態だ。

菅首相は、火曜日の早朝、原発での二つの爆発の情報が政府に伝えられていなかったことに対して、東京電力を怒りを顕にした。その後、首相は総合対策本部の設置を発表した。

IAEAの天野長官は、火曜日遅くに、ウィーンで開かれた記者会見の場で、同機関が、日本から故障した原子炉に関する情報をタイムリーに受け取ることができていない状況を公表した。これによってIAEAの発表に間違いが生じた。IAEAの天野長官は「日本側に、コミュニケーションの強化と円滑化を要請している」と述べた。IAEAの業務に詳しいウィーンの外交官の一人は、こういった発言の背景にある感情をこう説明した。

「日本から良い情報を得ようとするとフラストレーションが高まる。」

必ずしも率直とは言えない話し方は、不愉快なことを直接に言及することを避ける、対立回避型文化の中で根付いたものだ。この国では、最近まで、癌患者に対して、表面的にはその苦痛を避けるためという理由で、病名を明かさないのが標準的な慣行だった。

昭和天皇でさえ、第二次世界大戦の敗戦について最初に臣民に語った際に、「耐えがたきを耐え」と慎重な言い回しを使った。

政治的配慮も影響している。原爆の被害にあった唯一の国であり、放射能疾患に対して極めて過敏な国民性を配慮し、役人たちは、パニックを抑えこみ、政治的なダメージコントロールを行おうとするようになっているのだろう。左寄りの報道機関は常に原子力とその支援者に対して懐疑的である。

こういった相互不信を背景に、平和主義者や環境保護主義者を含む広範な反対派を刺激しないために電力会社とその規制当局が原発運営についての情報の流れを厳しくコントロールするという状況が生み出されたのである。

科学技術庁原子力計画担当はCatch-22と表現する。

政府と東京電力が自分たちが必要だと思うことしか開示せず、反原発的傾向の強いメディアは、それにヒステリックに反応する。すると、それがさらなる情報提供の制限につながっていくのである。

ある原子力産業の経営者の一人は、日本政府は、あまりに多くの状況説明(Briefing)を行うことが東電の原子炉のコントロールを取り戻す努力を妨げることになると判断し、国民に対する情報を制限するという判断を行っているのだと発言している。

水曜日の東電の状況説明においては、記者たちの怒りがこれまでになく高まった。彼らの質問は福島第一原発の3号機から登った水蒸気に絞りこまれていた。しかし答えらしい答えはほとんどなかった。

東電の担当者は次のようなコメントを繰り返した。

「それは未確認です。この時点では何も言う事はできません。皆様をご心配させてまことに申し訳ありません。」

「確認できないことが多すぎるじゃないか」と一人の苛立った記者がいつになく強いトーンで応酬した。儀礼的な謝罪は核危機のような場面ではふさわしくないということだ。

比較的発言が明確な枝野官房長官の言葉ですら、海外メディアから見ると、曖昧すぎると感じられた。しかも、時折、彼も、危機状況の急激な展開に追いついていないようだった。

水曜日の記者会見での枝野氏の、第一原発3号機からの煙で、放射線レベルが急騰し、現場のスタッフが一時的に安全な場所に退避するという発表が、外国メディアの間に混乱を引き起こした。枝野氏の説明が詳しくなかったことや、NHKの通訳による翻訳のせいで、外国人記者の中に、東電の現場チームが原発から退避したと解釈してしまった。

CNN、共同通信からアルジャジーラまで、東電福島第一原発の復旧努力を放棄したと、パニック状態で報道した。これは曖昧なコメントのニュアンスが理解できていた日本のメディアの平静さとは対照的だった。

その後、監督官庁と東電との確認によって、原発の作業チームは、一時的に原発内で屋内退避しただけであることが明らかになった。

政治家と企業経営者の密接な関係が今回の原発危機の対応をさらに複雑なものにしている。

大物官僚は引退すると、かつて自分が監督していた業界に高給で天下りする慣行がある。電力会社のような公共事業ほど監督官庁との関係が密接な業界はない。規制当局と規制対象企業は原子力を促進するために手に手を取ってきた。両者ともに、日本の化石燃料に対する依存を減らしたいと考えていたからである。

戦後日本は政治のリーダーたちが外交政策は米国、国内政策は強力な官僚たちに委ねるというシステムで繁栄してきた。大企業経営者は社会のロールモデルとして賞賛された。

しかし、この10数年の間に官僚の権威は大幅に失墜し経済が停滞する中で企業もその権力と過剰なまでの自信を失ってしまった。

しかし、この欠落を埋めることができるような政治家層は生まれていない。4年足らずで、4人の首相が変わり、今回の災害依然に、ほとんどの政治評論家は5人目の首相の命脈も絶たれていると判断していた。与党民主党は2年前に、50年間、日本政治に君臨してきた自民党の事実上の一党支配を一掃した。

統治行為の連続性がなくなり、民主党政権運営の経験がないため、現政権は動揺を栗化している。日本政府の中で、唯一、実務経験を有するのは官僚群だが、彼らは民主党政権を全く信頼していない。

「官僚は自民党以外と働くDNAを持ち合わせていない。」(同志社大学 浜矩子)

今回の東京の計画停電には、菅首相も官僚も関わっていない。責任のすべては東電に委ねられた。1970年代に行われた秩序だった停電に比べると、今回は、事前の通告もなく突然実施されたため、国民の不安を高め、災害の実情だけではなく、自分たちの日常生活に対する脅威についての情報すら満足に提供しない日本のリーダーへの不信を増加させた。

日本政府から、はっきりとした意見が出てこない背景には、官僚と政治家、省庁間に存在する根深い対立構造があるという意見もある。

「現在の日本政府には明らかに指揮権限が欠落している。その重要性がこのような時期に露呈したのだ。」と、米国の国防省、エネルギー省、国務省や日本の二つの省庁で働いた経験のあるRonald Morseは言った。(以上)