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村上春樹:夢をみるために毎朝僕は目覚めるのです

ここ数年、英語の文章をまずタイプで打ってから、一行一行訳すということを続けている。英語というものは、結局、そんな精読でしか読めないし、読む意味もないような気がしているからだ。こんなことをやっていると猛烈に時間がかかるのだが、じっくりと読んでいくプロセスで、身体の中に、刻印されるものがある。これは読み流すだけでは決して得られないものだ。

この方法だと、長年、懸案の英語での文章力というものにも何がしかの影響を及ぼすだろうという実利的な思惑もあるが、本当のところは、この作業をしているときの感じが好きということが大きい。

日本語の文章でこんなことをしようとは普通は思わない。ただ村上春樹の文章を読んでいると、そんな気分にさせられる。

村上春樹を読むというのは、ぼくにとっては、英語を一行一行タイプしてからじっくりと精読することに似ている。結局、ぼくは彼の文章と、そこから生まれる呼吸やリズムが好きなのだ。

1997年から2009年までに村上春樹が応じたインタビューを集めた、「夢をみるために毎朝僕は目覚めるのです」を読んだ。

80年代にニューヨークのある集まりで聴いた老作曲家の弾き語りの声を思い出した。ちょっとしゃがれた声で、「晴れた日には永遠が見える」を歌った。彼の名はバートン・レインという。ぼくのテーブルの隣に座っていた、大手弁護士事務所のユダヤ人のパートナーは、理由はわからないんだが、作曲家が歌う声が好きだ、それは、皆どこか似ていると呟いた。

村上春樹の語り口にも、それと似たところがあるような気がする。

インタビューの中には、物語の使命、自分のライフスタイル、翻訳という行為の意味、レイモンド・カーバーや、フィッツジェラルドなどへの思いなどが溢れている。

その中で一番印象に残ったのは、やはり、有名な彼のライフスタイルだった。

毎朝4時ぐらいに起きて6時間程度、小説を書き、その後、10キロぐらいランニングをしたり、水泳をし、そのあとは、音楽を聴いたり、読書をしたりして、9時ぐらいには就寝する。

小説を書くこと、物語を自分の心の奥底から掘り起こす、肉体労働者、アスリートとしての規律が心地良い。

そしてその規律を守ることによって達成しようとしているもの。それは物語の果たす役割の追求に対する純粋な信頼である。

オウムという経験に真剣に向かい合った村上は、若い人々の中の理想主義的な側面をまがりなりにも受け入れるシステム
がカルト以外に見当たらないという状況を憂えている。

善い物語というものが、こういった理想主義が邪悪なものに絡め取られないための査定基準なようなものになるのではないかと村上は考える。

《もしその物語が正しいものであれば、それは読者にものごとを判断するためのひとつのシステムを与えることができると僕は考えます。何が間違っていて、何が間違っていないかを認識するシステム。僕は思うんだけど、物語を体験するというのは、他人の靴に足を入れることです。世界には無数の異なった形やサイズの靴があります。そしてその靴に足を入れることによって、あなたは別の誰かの目を透して世界を見ることになる。そのように善き物語を通して、真剣な物語を通して、あなたは世界の中にある何かを徐々に学んでいくことになります。》

世界の光と闇を含む深い物語を自分の心の地下室の中から掘り出すという力技を続けるために、彼は「勤め人」のような規則的な生活を続ける。

そんな生き方が、正真正銘の勤め人のぼくたちの心をとらえて離さないのだろう。