21世紀ラジオ (Radio@21)

何かと気になって仕方のないこと (@R21ADIO)

英国はトロイのプードル(エコノミスト)

最近どうかなと強く思うのは、今の日本の置かれている問題のすべてに正解があって、日本政府や官僚はそれを全くわかっていないという論調だ。そういった発言をするのは、学者や評論家が多いのだが、そういう人たちは、どちらかといえば、全体的視点でものを語っていない場合がある。

こないだのギリシア危機についてのコラムの中で投資家と神経科学者が分析していたように、いろいろな発言者たちの専門化がどんどん進むにつれて、総合的で、断定的ではない、バランスの取れた見方や意見というものの存在感が薄れていくことになる。思想のタコツボ化が起こっている。自分はタコツボの中にはまり込んでいるにもかかわらず、ツボの上に見える空が世界のすべてだと思い込んで、天下国家を語る。タコが狭いツボから見た世界を自信満々語り、それをマスコミや一定の利害を有するものが便利に活用する。

いずれにせよ、正解がないのだからしょうがないといえばそれまでだが、自分の耳に入りやすい情報だけを収集するバイアスから逃れるためには、極力、違った意見も取り入れることが大切なのだろう。

ことは経済に限らない。最近、ぼくが一番嫌いなのは、何につけ、欧米が正解を持っており、それを知らない人間は馬鹿だという論調だ。

同盟関係において日本は突出してだらしないという論調。本当だろうか。特別な関係においては年季の入っているはずの英国でさえ、米国との関係は厄介なのだ。カナダの有名な外交官が、Life With Uncleという隣国としてのアメリカについての本を書いている。その中でも、隣人としてのアメリカはいかに厄介かということを詳細に語っていた記憶がある。

アメリカと付き合うのは誰にとっても厄介なのだというところから、議論は始めるべきだろう。

イギリスは一生懸命、米国とは特別な関係にあるとふるまいたがるが、欧州諸国は、それをアメリカの威を借る哀しいプードルと冷笑する。このあたりのなんとも言えない悲喜劇を踏まえて、わが祖国の「哀れさ」を把握すべきだろう。

どこの国もアメリカと付き合うのは大変だし、どこの国のマスコミも、自国の政権には厳しいのだ。

エコノミストの「欧州とトロイのプードル犬」という厭味なコラム。(AY)

http://www.economist.com/node/16640261
華々しくデビューしたデビッド・キャメロン首相の訪米もそんなに順調じゃなかったようだ。

大英帝国には大いなる二つの幻想がある。

先ず初めに、英国はアメリカとの間に特殊な関係があるという幻想だ。超大国と親密でありたいというこの国の欲望によって、英国は、まるトロイの子犬(プードル)のようなソ存在になってしまった。

イラク戦争のときのように、米国政府との関係はまるで奴隷のようで、EUとの関係では、いまだに横柄さが抜けない。アメリカがEUを分断して支配しようという試みを嬉々として助けようとしている。

二番目の幻想は、いまだに大英帝国についてのノスタルジーが抜けなくて、現在の自国の限界が見えなくなってしまっている。心理的に過去の栄光を克服できていないと、欧州政治の長老たちは言う。

今回のキャメロンの訪米は、欧州の見物客からは、面白い見ものだったかもしれない。オバマ大統領が大統領執務室でキャメロン首相と過ごしたのはたったの75分間だ。オバマがファーストネームで呼びかけたことぐらいが格別の配慮だったぐらいだ。

キャメロンも、訪米前には、英米の特別な関係のイギリスの一方的な思い入れに対して、冷笑的にふるまおうとしていたのも事実だ。彼は、両国の同盟は、それぞれの国家利益にかなう冷静な自己判断に基づくものではなくてはならないと、いたって冷静さを強調していた。

訪米前に、先手を打ってクールさを保とうとしたキャメロン首相だが、米国では、むしろ多くの質問の劫火に焼かれることになった。英国首相というよりは、まるでトラブル続きのBPのスーパースポークスマン扱いだった。

上院議員や記者たちは、原油流出問題だけでなく、2009年のハイジャック犯の釈放問題へのBPの関与について、無数の質問を若き首相に対して浴びせた。具体的には1988年のスコットランド上空でのパンナム103の爆破犯人として有罪判決を受けた唯一の人間を、死にかけているという理由で釈放した判断に、BPが何らかの役割を果たしたのではないかという嫌疑だった。

キャメロン氏は防戦一方だった。死にかけているという判断で釈放したのはまったく間違いだったが、この判断は、英国政府ではなく、スコットランド当局の判断だったと主張した。さらには、原油流出事件とリビアの爆破問題をくれぐれも混同しないようにと懇願した。

キャメロン氏は訪米中に、どうやら米国人が、政府予算の25%削減が強制されている英国は破綻寸前じゃないのかと不信感を持つようになったことに気づかざるを得なかった。

欧州の同盟国は、英国の汎大西洋主義への妄執がついには崩壊すると考えてもいいかも知れない。アメリカと肩を並べる大英帝国の栄光というような幻想から解放されれば、欧州と外交や安全保障面で、一歩踏み込む努力を阻むものはなくなるはずだ。

こう考えたくなる理由もよくわかる。しかし、これは英米の特別な関係というものへの誤解に基づいている。外交や政治の現場のイギリス人たちは、それが一切特別なものではないということを知り抜いている。閣僚、軍人、外交官、スパイなど、この関係に関わる現場の人々は、大国アメリカに近づけば近づくほど、横柄になどなることはできず、むしろ痛いほど、現実的にならざるを得ないのだ。

政治の現場の人々は自分たちが汗水流して奉仕している英国がもはやアメリカという大国の政策に、時折、深くかかわるだけの、中規模の、衰退を続ける国であることを強く認識しているのである。

実は、イギリスの上層の人々も、欧州との関係をより密接にすることに異議を述べてなどいない。ましてや欧州的価値に対して敵対的でもないのだ。官僚や政治家をアメリカに配属すると、英国人たちはすぐに、自分たちがいかに欧州的かを学ぶという。

英米関係の維持努力を通ける現場の人々にはいつも不安がある。英国がニッチ分野での能力があり、極めて有用であることを主張する。EUへの加盟ということも、全く、ありえないという話でもない。英国は、トルコのEU加盟への希望をつないだり、予想よりはるかに厳しいEUのイラン向け制裁をフランスとともに推進することで、アメリカに対する得点稼ぎをしている。

特にイラク侵攻の頃には、イギリスにも驕りといえるような瞬間があった。英国兵士の中には、北アイルランドでの経験によって自分たちは、犠牲者を出すことを回避したがると思われていた醜いアメリカ人よりも反乱と戦う上で優れていると考えているものもいた。7年後、アメリカ軍、その持久力、強大なリソースをコミットする力、戦術を再考する迅速さに対する大きな敬意が存在している。

イラク侵攻のときには、英国の中にも驕りのようなものがあった。だらしのないアメリカ兵より、北アイルランドの経験を持つ自分たちは優秀だと考える傾向が英国軍の中にはあったのは事実だ。7年たってみると、米軍の持久力、強大なリソースをコミットする底力、戦術を柔軟に変更していく迅速さが、今では高く評価されるようになっている。

ユーロ圏の人々はなかなか信じないかも知れないが、英国の普通の有権者には、大英帝国のノスタルジーなどほとんどなく、むしろ皆現実的である。

政府機関がイギリス国民を対象にした外国好感度調査によると、旧イギリス連邦ニュージーランド、カナダ、オーストラリアは当然圧倒的に高いランキングを占めている。しかし元植民地の中でも、インドやパキスタンは不人気だった。ニュージーランドなどの上位陣に次いで好感度が高かったのは、きっちりしていて、穏やかなイメージのスイスや、スウェーデン、オランダだった。この調査からは、見慣れないもの(exotic)なものを好まない英国人気質があらわれている。そして、重要なことだが、40歳以下の英国人には、もはや、大英帝国についての知識はぼんやりとしたものでしかないのだ。

言語が共通なので、英国人が、アメリカの過剰さを非難する一方で、その成功を自分のもののように誇るのは簡単である。しかし今週ワシントンで、キャメロン氏の横に立った、オバマ大統領が、米国にとって英国ほど重要なパートナーはいないと発言したときに、社交辞令以上の意味を読み込もうとしたものがほとんどいなかったということは、ある意味、ようやく英米関係が成熟してきたことを示しているのかもしれない。(以上)