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21世紀ラジオ (Radio@21)

何かと気になって仕方のないこと (@R21ADIO)

「ギリシア危機」という考えが出来上がってくる心理的プロセス

クリントンは、「馬鹿だな、重要なのは経済だけさ」という台詞で有名だ。たしかにイデオロギーも人間の生き方も大切だが、自分の職や家族の生活がどうなるのかということ以上に重要なものはない。

おそらく、今後の日本の選挙の動向を決める中で、経済状況が占める割合はどんどん増えていくことになる。

アメリカでも景気がよいときの大統領の再選は容易だった。

ただ経済政策が重要なのはわかるが、この経済政策をめぐる議論がわかりにくくって仕方がない。

デフレをめぐる現状認識でも、素人の目から見ると、どのあたりが、大枠のコンセンサスのあるところなのかが、わかりにくい。これは大変困ったことである。相手方を批判するものは、皆、連中は、経済のイロハがわかっていないという批判の仕方をする。すると、そもそも経済のイロハがわかっていない素人にとっては、誰の意見を信頼するかというようなことになってしまう。

誰の意見を信頼するかを判断する前提としては、誰の意見がわかりやすいかということが重要になってしまう。しかしわかりやすいということと、それが正しいということは全く違ったことだ。わかりやすいということがいかに現実とはかけはなれた判断を生み出してしまうかを、欧州の投資家であるTHIERRY MALLERET とジュネーブ大学の神経科学の教授 OLIVIER OULLIERが、ギリシア危機をテーマに説明している。

そして、最後に、市場のネガティブなコンセンサスに反する逆張り的なユーロポジティブ論を主張している。

最近、さすがに、日本人には、物事は変えられないという誰かの直感に対応した事実の蓄積にうんざりしてきている。人間の心理に対するこうした慣性や機制をぶち壊すようなポジティブな逆張り的アイディアをそろそろ、ぼくたち国民が、真剣に考え始める必要があるんじゃないだろうか。

http://www.nytimes.com/2010/07/31/opinion/31iht-edmalleret.html?_r=1&ref=global&pagewanted=print

かつては欧州文明のゆりかごだったギリシアは、今では欧州の経済危機の中心に位置している。

ギリシアは破綻し、ユーロも道連れになるという、市場や評論家たちの間で一時はコンセンサスになっていた事態は避けられつつあるようだ。しかし数ヶ月前、ドイツ国債と同じような利回りで取引されていた国債に対する、クレジットデフォルトスワップの市場価格は、パキスタン以上になってしまっている。

投資家は他人を真似るものだし、市場が群集心理で支配されるのは珍しくはない。ただ政治的に多くの展開が生じているにもかかわらず、ギリシアに対する市場のネガティブなコンセンサスが継続することを、群集心理とだけ片付けることはできない。人々の認識力をゆがめるものは何かを神経科学から学ぶことなしには、ギリシア問題の本質は理解できないようだ。

まず極端な判断という考え方。リスクや損失を評価するときより、ものごとのリターンを予測する際に使われる神経システムの方が長く活動するのである。学者や評論家たちは、極端の帰結を想定した方が、淡々と事実を伝えるよりはるかに評価され、自分たちにとっても得だということを知っている。コラムにストも、複雑で不確実な帰結につながる事実にこだわるよりは、人々の心を鷲摑みにするような不吉な結果を予測する方がうけがいいのだ。

適切な根拠に基づいているようには見えない、ユーロ崩壊を予測する方が、新聞や雑誌も売れて、著者も人気が高まるのだろう。よしんば予測がはずれたとしても、その頃には、そんな発言はみんな忘れているのだ。

次に選択肢の幅が狭まっているという問題がある。今や専門性の時代だ。多くの専門家が、自分の狭い領域に特化するようになったことが、投資家の投資判断に大きな影響を及ぼすようになっている。こういった事態が生じたのは、思考のタコツボ化(silo)によるものだ。自分の分野と他の領域を切り放して考える傾向が強まっているのだ。正しい判断をするためには不可欠である、違った領域の間の点を結ぶことができなくなっている。

現実のギリシア危機についてみてみることにしよう。5月2日にギリシア政府とEUとIMFとの合意を締結する以前には、政治的な必要性が、経済的論理や現実を克服するという可能性を検討することすら拒否していたのである。市場は、断固としてギリシアのデフォルトが目前であり、回避不能であると考えていたのである。タコツボ化という見方からすると、政治と経済という二つの領域を結びつけるという思考ができなかったのである。

脳は生物学的に言うと、二分法的にはできていないのだが、二分法が大好きなのである。物事を、成功/失敗、協力/競争、合理的/非合理的などに分類するのが簡単だからである。

どんな時でも、断定的な意見の方が、「この場合にはこうなる」というような慎重な説明より説得力があるのは、人間の認識におけるこういう傾向性を反映している。このため、複雑な現実に対する繊細かつ精緻な絵を書くよりは、極端でわかりやすい絵を描くことに固執することになる。ギリシアの例で言えば、こういう心理的傾向のもとでは、EUやIMFなどとの対話や、国内の改革プロセスの詳細を分析する余地がなくなってしまったのである。

人間の心理の別のバイアスがさらに働くことになった。そもそも自分の意見を作る際に、我々は直感に頼るものなのである。こうやって作った結論を補強するような外的証拠を探すという順番になっているのが現実である。自分の見解に適合した事実がどんどん受けいれられ、さらにそういう性格の事実を収集するインセンティブが働き、自分の見解に矛盾する情報は心理的に遮断されていくことになる。

ギリシアの場合で言えば、民衆によるデモが、国家の崩壊の序章のような出来事としてハイライトとされることが多かった。しかし真実はそれとは正反対だった。実際に、デモへの参加者はそれほど多くはないのだ。ギリシアの人口の1100万人中たかだか5万人程度である。今後、この数字が増加する可能性がないとはいえない。しかしユーロに対する懐疑派は、こういった自分の見解に矛盾するような事実を、一切無視して悩むことがない。

投資家が投資判断をする際に、こういった心理メカニズムの影響を受けて、情報の抽出に対するバイアスが加わることで、ネガティブな市場センチメントがより強化されることになったのだろう。ただ、投資で成功するためには、その時点で支配的な見解に反したポジションを取らなければならない場合も多数存在するという経験則にしたがって、ギリシア危機に関しても、逆張り的(現在無視されていることや、ありえないとされていることへの賭け)な考えを提案してみようと思う。

最近の市場の展開の中で、ようやく欧州の為政者たちの考え方にもばらつきがなくなってい必要なことに集中してきているといえる。各国の財政緊縮政策がだらだら繰り延べられることはなく、痛みを伴う構造改革が実行される可能性が高まってくる。当然、実行に伴って各国毎に微調整が必要となり、そのプロセスは決して円滑とはいえない。さらに、既存の国債のリストラも行われることになるだろう。ただし、多くの未知数はあるとはいえ、欧州の崩壊が避けられないことを示す事実は今のところ何もないし、南欧では政治改革は不可能であることを十分に証明する事実もない。欧州は、ギリシアの大渦の中で生き延び、より強くなる可能性もあるのだ。(以上)