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21世紀ラジオ (Radio@21)

何かと気になって仕方のないこと (@R21ADIO)

クルーグマン 時代はめっきり30年代

クルーグマンがニューヨークタイムスに「気分はまるで30年代」と、世界中に広がる時期早尚な、緊縮(Austerity)ブームに警鐘をならしている。

特に、ユーロの中核にいながら、ユーロというものの構造的意味を理解しようとしない、あるいは理解しようとしてもポピュリズム的論理、ポピュリズム的「バカの壁」によって思考停止しているドイツ政府に批判は向けられていく。

その頑迷なドイツですら、誠実に見える、米国の財政タカ派の偽善に対して、相変わらずクルーグマンの舌鋒は鋭い。

http://www.nytimes.com/2010/06/18/opinion/18krugman.html?pagewanted=print

突然、雇用創造は終わりを告げ、痛みを課すことが称揚されはじめた。

財政赤字を非難し、いまだに苦しい状態の経済の支援すら拒否することが世の中の流行になってしまった。

当然、米国もその例外ではなく、52人の上院議員が、1930年代以降もっとも高い長期失業率の下、失業者への支援拡大に反対する投票を行った。

私も他の多くの経済学者も、この緊縮政策への転換は大きな間違いだと考えている。

1937年の悪夢が蘇るようだ。

この年、時のルーズベルト大統領、FDRが時期早尚な財政緊縮を試みたため、回復しつつあった景気を再び深刻な不況へと追い込んでしまった。

ドイツでは、何人もの学者たちが、1930年から1932年にかけてのドイツの首相Heinrich Brüningの政策との類似性を指摘している。

彼が、正統派金融政策にこだわったため、ワイマール共和国の運命を閉ざされてしまった。

しかしこういった警告にもかかわらず、財政タカ派はほとんどの場所で影響力を増している。

特にドイツにおいてその傾向が強い。

独政府は大きな需給ギャップがあるにもかかわらず800億ユーロ、ほぼ1000億ドルの財政改善を増税と支出削減によって達成することを公約した。

こういった政府の動きの背後にある経済的ロジックは何か。

なんとか答えを見つけようとしてみたが、結局、論理など存在しないというのが答えだった。

ドイツの役人たちに、なぜこんな不景気のときに緊縮策が必要なのかと聞いても、つじつまの合った解答は得られなかった。つじつまが合わないことを指摘すると、彼らは次々と異なる正当化理由をあげてくる。それらも尽く、つじつまが合わないのだ。

ドイツの財政タカ派と議論するのは2002年にイラク戦争支持派と議論するのと似ている。

どちらも、目的だけははっきりしている。彼らの論拠を一つ論駁すれば、すぐに別のロジ論拠をあげてくるのだ。

タカ派との典型的な論戦は以下のとおりだ。(これはぼく自身あるいは他のアメリカの経済学者の実際の経験に基づいている)

タカ派「我々は、即座に赤字を削減しなければならない。理由は高齢化する国民の財政負担に対処する必要があるからだ。」

醜いアメリカ人「しかしそれはつじつまが合わない。8000億ユーロを削減しようとしても、それは不可能だ。財政削減が景気に悪影響を与え、税収を減らすからだ。節約できる政府負債の金利分にしてもGDPの0.1%以下に過ぎない。推進しようとしている緊縮策は景気回復に打撃を与え、国の長期的な財政状況を改善することもほとんどない。」

タカ派「算数の議論をする気はない。市場の反応というものを考慮に入れる必要がある。」

醜いアメリカ人「市場がどう反応するかなどどうやったらわかるのか。いずれにせよ、市場が何故、長期的な財政状況改善に何の役にも立たない政策によって動かされるのか。」

タカ派「我々の状況があなたには全くわかっていない。」

大事な点は、緊縮策を主張する人々は冷静なリアリストのようなふりをして、我々はなすべきことを行うという顔をするが、実際の数字で、その立場を正当化もできないし、しようともしない。理由は、実は、現実の数字がそもそも彼らの立場を支持していないからだ。市場が緊縮策を要求しているという主張にも理はない。それとは反対に、ドイツ政府は今でも低金利で調達が可能なのである。

となると、彼らがここまで緊縮策に執着する真の動機はどこか他のところにあると言わざるを得ない。

アメリカの場合、多くの自称タカ派は、単に偽善者でしかない。

彼らは、赤字の懸念から、本当に必要とするものから、福祉を取り上げる一方で、富裕層への優遇措置となると突如赤字への懸念が消えうせてしまうのだ。

上院議員のBen Nelsonは、聖人ぶった顔をして、米国には失業者に対する770億ドルの支援の余裕はないといいながら、1兆3000億ドル相当のブッシュの第一次減税法案を通過させるのに大きな役割を果たしたのだ。

ドイツのタカ派は、こんな輩よりは、はるかに誠実だ。

しかし財政上のリアリズムからは無縁だ。

ドイツ政府は道徳的であり、断固とした姿勢を示すことにこだわっているようだ。ドイツ人は、赤字を放置することは道徳的に間違っていて、財政均衡策はまわりの環境や経済的論理などにかかわらず常に高潔なことだと考える傾向がある。

アンジェラ・メルケルも閣議で緊縮策に合意したことを強さの証明であると誇った。強さを示すこと、強さと見なされること自体が重要なのだ。

当然、こういった断固とした姿勢を示すことには支払わなければならないコストがある。しかしこのコストの一部しかドイツにはふりかからない。

ドイツの緊縮策は、ユーロ圏の危機をさらに悪化させる。そしてスペインやその他経済危機にさらされている諸国の景気回復をより困難にするだろう。

欧州の問題は、ユーロ安につながり、皮肉な形で、ドイツの製造業を支援し、ドイツの緊縮策の帰結を米国などの他の地域へと輸出することになる。

しかしドイツの政治家は、断固として、痛みに耐えることを国民に課することによってその強さを証明しようとしているようだ。しかも世界中の政治家はそれに従おうとしている。

こういった新しい流行が、どれほどの悪影響を与えるのだろうか。再び1937年の悪夢が訪れるのか。答えは僕にはわからない。僕に分かっているのは、世界中の経済政策が、大きく間違った方向に向かっていることであり、不況が長引く確率が日を追って高まっているということだ。(以上)