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クルーグマン「早々と痛みの必要性を叫ぶ人々」

ギリシア危機を引き金として、日本国内にも、財政再建というような論調が強くなってきている。これはいいような悪いようなところがある。

財政再建の中でもっとも重要なのは、実は、どのようにお金を使うかという点の納得性だと思う。今は、その政治プロセス(官僚主義)に対する国民的信頼がない。

自分達及び自分たちの子供や孫の世代に必要なものであると、大多数が納得でき、その実行が、政治や官僚主義に食いつぶされていかないようなプロセスができあがるのならば、増税や部分的なサービスの削減も含むいわゆる「痛み」に耐えようもあるだろう。

ところが、「痛み」だけが先走ると、またぞろ「清算主義」的言葉だけが一人歩きして、必要な政策の発動を阻害するという問題が起こることになる。

そのあたりのバランスがとても難しい。後付けで、物事を裁断するのは簡単だが、不確定の中での判断は、こういった「言葉の専制」「呪文の横行」に脆弱である。

クルーグマンが、「痛みを叫ぶ人々The Pain Caucus」というような内容で、先進諸国に広まりつつある、はやすぎる清算主義の登場を懸念している。

有権者である、ぼくたちは、何が正しいのかをどうやって見極めていけばいいのだろうか。

http://www.nytimes.com/2010/05/31/opinion/31krugman.html?ref=global&pagewanted=print

いまだ脆弱な世界景気に対する最大の脅威は、政府に対して、失業者救済などをとりやめて、痛みを伴なう政策を実行すべきという論調の広まりだと、クルーグマンは言う。

今回の金融危機での各国政府の初動の対応は適切だった。1930年代の歴史に良く学ぶことで、財政赤字の増大を一時認容し、金融緩和を行い、満足いく状況に回復してはいないものの、最低、第二の大恐慌は回避された。

しかしながら、ここのところ懸念すべき事態が生じている。ガルブレイズが、「時代を問わず、必ず受けいられる考え」と呼んだ、痛みを伴なう緊縮への声が、マスコミや専門家の発言の中で急増している。

OECDが発表した経済見通しは、こういった考え方を見事に表している。(OECDは、パリに本拠地を置く、先進国の政府によって支援されているシンクタンクである)。ある意味、OECDは、その成り立ちから考えても、慎重な組織である。別の言い方をすると、彼らの発言は、その時点での社会通念を表しているともいえる。OECDは、今、各国政府は、景気刺激から、利上げや、支出削減に踏み切るべきだと主張している。

このアドバイスは二重の意味で目立っている。第一に、世界経済にとって今何が本当に必要かという現実と断絶している。次に、彼ら自体が発表している経済予測の前提とも整合性がない。

OECD自体の予測においても、インフレの影はないにもかかわらず、今回の見通しでは、米国や他の先進諸国はインフレを阻止するために今後1年半以内に利上げが必要であると宣言している。

一見矛盾するこういった主張を、OECDの立場になってなんとか再構成してみると次のようなロジックになるのだろう。すなわち、現在、その懸念があるなしにかかわらず、市場のインフレ期待が高まる可能性を今懸念すべきだということだ。自分の予測の中でも前提としているわけではないが、長期的なインフレ期待がOECD経済の中に組み込まれることは阻止しなければならないということだ。

同じようなロジックで、緊縮財政が正当化されつつある。経済の教科書を読んでも、過去の経験をふりかえっても、高失業に苦しんでいる時点での政府支出の削減はかなり間違っている。こういう状況での、支出削減は、不況を深め、その結果として生じる税収減によって打ち消されてしまうのだ。当のOECDがここ数年、高失業率が続くと予測しているほどだ。にもかかわらず、彼らは、景気刺激策を取りやめて、来年から本格的財政再建を開始することを要求しているのだ。

なぜこんなことをするのだろうか。彼らは、市場を意識している。ところが、今、市場が望んでもいないものを、あたかも今望んでいるかのように考えて、与えようとしているのだ。今、市場が米国政府の支払能力を心配しているようには思えない。米国国債金利は史上最低水準で推移している。市場はたしかに、米国の財政状況に対して懸念を持っている。しかし、不況の中で歳出削減をしても、先程もいったように、財政状況は改善しないのだ。しかし、政府の再建に対する姿勢が不適切だと、金融市場から悪い反応をひきおこすリスクがあるので、削減が必要だというのがOECDの理屈である。

最近世の中に流布しているこの社会通念を一言でまとめると、「市場が将来望むはずと思われるものを、今市場に与えようとすること」となる。市場を直視すれば、その兆しがないという事実にお構いなしに、こういった社会通念は流通する。

馬鹿げた考えに聞こえるかもしれない。実際、馬鹿げているのだ。かし現実にこういった見解が広がっている。そして既にひどい結果を生み出し始めている。

米国の保守派議員が、先週議会で、新しい財政赤字の不安を煽り、長期失業者に対する支援を拡大する法案の内容を大幅に削った。そして上院はそれにまともに反対しなかった。結果、多くのアメリカの家計は失業給付、健康保険、あるいはその両方を失おうとしている。そしてこれらの家計が支出削減を余儀なくされると、別の労働者の職をも危うくすることになる。

そしてこれは始まりに過ぎない。こういった社会通念がどんどん広まり、責任ある態度とは、失業者が苦しむに任せることであるなどと主張しはじめることになる。

そして苦痛から得られるメリットというものが幻想にすぎないのに対して、痛み自体は極めてリアルなものとなるのだ。(以上)