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タイラー・コーエン「ギリシアはなぜみかけより貧しいのか」

Tyler Cowenの「ギリシアはなぜ見かけより貧しいか」というコラム。(日経BPから「インセンティブ」が、出版されている、魅力的な書き手だ。)

ユーロという制度の持つ難しさを克明かつわかりやすく説明しているということで稀有なコラムだった。ぼくが経済学者のコラムに求めるものの多くが含まれている。

Why Greece is poorer than it seems

ギリシアは比較的裕福な国だ。少なくとも、数字上はそうなっている。

一人当たり国民所得は、3万ドル以上で、これはドイツの4分の3の水準だ。

この数字が捉えていないのは、ギリシア経済の諸制度が他国に比較して脆弱であるという現実だ。ギリシアの制度は、かなり控えめにいっても、ドイツやその他うまく運営がなされているEU諸国と比較できるような水準にはない。この現実がギリシアの問題解決を極めて困難なものにしている。

EUとIMFは巨額の救済パッケージを準備した。しかし今問われているのは、短期的な負債の返済問題や、ギリシア財政の削減ではなく、将来ギリシアが本当に経済成長できるかどうかなのだ。

商業を行う際の規制環境の質について国際比較をした、世銀の事業環境指数(Doing Business index)を見てみると、ギリシアは109番目だ。エジプト、エチオピア、レバノンのちょうど前ぐらいの位置である。

高所得諸国のカテゴリーでは、ギリシアは下から二番目である。ギリシアの下につけているのは、産油国である赤道ギニア共和国だけだ。

ギリシアの財政システムは機能不全に陥っている。公表されている表の経済の2割から3割に相当する地下経済(shadow economy)が存在する。そして脱税総額は年間300億ドルと言われる。

そもそも支払わねばならない税金を、支払わせるだけで、ギリシアの財政は均衡するのだ。しかしこのシンプルな目標すら、達成はおぼつかないのだ。

世銀指数が示すように、政府のお金は生産を支援するというよりは妨げる方向に使われているのだ。

ギリシアが実際より裕福に見えるのはこういった理由もあるようだ。

公共支出はGDPを計算する際にはその原価が用いられる。ギリシアの1ドルあたりの公共サービスの価値は、多くの富裕国以下なのだ。こういった状況にもかかわらず、2001年に、ギリシアは前のめりでユーロ圏に加盟した。

結果、あまり幸運とは言えないことが生じることになった。

今や、ギリシアの通貨となったユーロは、隣国のトルコよりも強くなった。

このため、リゾート客の誘致競争において、トルコに対するギリシアの価格競争性がなくなった。しかも、ギリシアは、トルコ観光に比べた割高さを埋めるために、豪華なホテル、ゴルフクラブ、リゾートを建設しているわけでもない。

ユーロで支払われるため、全般的に割高になったギリシアの財やサービスの国際競争力は失われた。理想的には、割安の自国通貨で値付けされるべきなのだ。これが貧しい国にとってはもっともふさわしいやり方なのである。

今後、ドイツとフランスの生産性が一貫して、高成長を遂げ、その結果、ユーロの通貨価値が上昇すれば、ギリシアの輸出は、さらに現実からの乖離を深め、問題は悪化することになる。

このジレンマを回避するための痛みを伴なう方法としては、賃金と物価のデフレーションを継続することがある。しかしギリシアの有権者は既にデモを行い、政府に対して給与や福利厚生の現状維持を主張している。計画通りのデフレ政策は、そもそも維持するのが困難なようなのだ。

実際、これまで、ドイツとフランスは共謀して、ギリシアを実態より裕福な国として取り扱ってきた。強いユーロは、ユーロ圏の貧しい地域からの域内輸出の競争力を阻害する一方で、ギリシアやその他の低所得加盟国によるドイツやフランスからの輸出を促進することになった。この二つの傾向が、結果、ドイツとフランスの商業的利益を資することになったのは明らかである。

ものごとを更に悪化させたのは、ユーロ圏加盟後、ギリシアが、将来の生産性が高くなるという前提で、猛然と、支出や借入を開始したことにある。

欧州中央銀行(ECB)は当時まだ格付けの高かったギリシア国債を購入することで、この国を財政責任を有する国として取り扱った。欧州の多くの銀行がこれにならったため、ギリシアの現実からはとても正当化できないような貸出ブームが生じた。

ギリシアは到底維持できないような政策を追求することができた。例えば、多くのギリシア人は、60歳前に引退し、引退後も給与の4分の3を受け取ることができたのだ。このような贅沢は、米国のようなもっとゆたかな国でも見受けられないほどのものだった。

この段階で、ギリシアが裕福なふりをした貧しい国なのか、その逆なのかという疑問は解けていない。発表された救済計画によれば、苦境にあるギリシア経済はさらに大きな額の借入と返済をしなければならなくなっている。古い幻想がギリシアは裕福な国というものだったとすれば、新しい幻想は、ギリシアは短期的には、拡大しつづける負債を返済できる程度には十分裕福だというものである。

ギリシア経済はユーロ圏16カ国全体の2%程度だ。そのため理論上は永久に域内からの贈与を受け続けることは不可能ではない。しかしこれは望ましい解決にはつながらない。理由はポルトガルやスペインやその他の国々が、同じような取扱を求める可能性があるからだ。さらに、ユーロ圏諸国には国境を超えてこういったことを可能にするような社会的連帯が存在していないのだ。

米国にも裕福な地域と貧しい地域がある。しかし50州は均衡予算運営を強制されている。しかも共通の言語と文化を共有するため国内での移動性は高い。オバマ大統領の医療改革のような主要国家政策は、どの州にとって得か損かという軸で、先ず判断されるというわけでもない。実際、医療改革に概ね反対している「赤い州」(共和党支持者が多い州)の方が、メディケイド(貧困者向け医療扶助制度)や、税金による貧困者向け医療保険制度の面で、高額の補助金を享受するのである。

突然、自分たちは前より貧乏になったと感じているのはギリシアだけではない。英国はGDPの約12%に相当する財政赤字に直面しているし、イタリアのGDPに対する公的負債の比率は110%に達している。

米国においても、住宅や雇用市場は時々思い出したように、回復しはじめたように見えるに過ぎない。しかもアメリカはメディアケア(高齢者向け医療保険制度)関連の巨大な将来負債に直面しなければならない。

我々は皆、経済における不快な現実を突然知らねばならない運命に置かれている。ギリシアはその極端な現れに過ぎないのだ。

この観点から見ると、公表された救済計画は、多くの国、とりわけ、自国がかつて考えていたほど裕福ではないという新しい現実をしっかりと認識した上で行われたというよりは、こういった真実に対する心理的な否認と言わざるを得ない。(以上)