21世紀ラジオ (Radio@21)

何かと気になって仕方のないこと (@R21ADIO)

大救済時代(Too Big To Fail)は終わらない

ニューヨークタイムスのRoss Douthat署名の、大再編(The Great Consolidation)というコラム。

要旨は、世界中で、経済危機を契機に、反政府、反エリート的な風が強くなっているように見えるが、実のところ、こういった経済危機を引き起こした各国のエリートの権限はその過程で焼け太り的に増大しているという内容。社会の複雑化が、危機を引き寄せ、危機の解決に、新たな集権的決断が必要とされ、その結果、エリートによるシステムの複雑化は止まらない。大型救済の時代は、これから本格化するという予言的内容だった。

民主党政権脱官僚路線が、新しい官僚化を引き寄せそうな日本にも、あてはまる見立てだ。

http://www.nytimes.com/2010/05/17/opinion/17douthat.html?ref=global

時代はまるでポピュリスト全盛の様相を呈している。アメリカではティーパーティ。ギリシアは暴動。現職議員が次々と敗退し。FRBは監査に直面し、ゴールドマンザックスは訴追対象。そしてケンタッキーでは、ロン・ポールの息子が共和党の上院選のプライマリーに勝利しそうである。

こういった大向うを狙う反体制的ポピュリズムの外見に目を奪われると、その深層にある政治的、経済的な真実が見えなくなってしまう。

ワシントンからアテネに至るまで、経済危機は革命というよりは整理統合を引き起こしている。権威の拡散というよりは、強化。最初に災厄を引き起こした当の本人のエリートたちの手への権力の集中だ。

欧州の状況をみると、ギリシアの国家財政のメルトダウンが始まってから1週間で、議論はEUの脆弱さ、急激な拡大の愚行、支配エリート層が危機を未然に防げなかったことへの非難などに終始した。

その後、EUは、ギリシアへの1兆ドルレベルの救済の見返りに、ワシントン・ポストが第二次大戦直後の、全面降伏のようだと評した条件に同意させた。

救済が成功すれば、EUの加盟国への権限は劇的に高まる。一部エリート層主導によるEU統合が引き起こした危機は、結果、さらなる統合と、エリートの焼け太りに繋がっていく。

このあたりの動きはアメリカ人にとって馴染み深いものだ。

2008年のパニックの理由は、部分的には公共の利害が民間の利害と錯綜しすぎて、民間の失敗を許容するような体制ができあがったことにある。

しかしこのパニックを停めるために行ったすべてのことや法制度整備が、この共生関係をさらにこれを強めるだけの結果となった。

TARPから景気刺激策、自動車企業の救済から医療改革まで、我々は広範な政府と民間のパートナーシップを生み出してきた。

これによって外部者や小さな組織を犠牲にして内部者や大組織の権力を強化したのだ。

金融危機か18ヶ月後たった今、金融機関、企業経営者,官僚、政治家はかつてないほど緊密に結ばれることになった。

同じような、再編がより目立たない形で、国家保障の領域で起こっている。ブッシュ政権の外交政策の背伸びに対する反対する選挙運動を行ったオバマ大統領だが、実は、ジョージ・ブッシュ911の際に利用した戦闘能力の全てを継承しているのだ。

当然、前政権がもっていた包括的な権利の一部は否認された。しかし基本的なポスト911行政権実行の枠組みとなった拘留、尋問、暗殺などに関する行政権が、テロとの終りなき戦争という名のもとに、今後の政権においても継続するように思われる。

個別に見れば、こういった政策選択の多くは完全に正当化が可能だ。ただ全体として見れば、ひたすら一つの方向を目指すというシステムの特性を表している。

再編が危機を生み出し、それに対する対応が次の再編、統合に繋がる。

経済的集中化が意図せざる帰結だとすれば、混乱を収拾するために今度は、政治的集権化が必要になるのだ。政府がテロリストの攻撃や不動産バブルを防ぐのに失敗すればするほど次の危機や次の次を回避するために、もっと多くの力が政府に付与されなければならなくなるのだ。

CIAとFBIは911を止めることができなかった。その結果、国土安全保障省が存在している。数十年に及ぶ持ち家補助の結果、住宅市場が崩壊したにもかかわらず、政府はいまだに自動車産業、グリーンエネルギー産業、医療部門補助金を出しつづけている。

このパターンは政策だけではなく、人材に対してもあてはまる。ロバート・ルービンの過ちが、制御不能の金融セクターを産み出したのに、それを是正するためにそのルービンの弟子であるティモシー・ガイトナーとローレンス・サマーズが必要になるのだ。

結局、こういった再編された権力のすべてに関して、彼ら以外に信用のできるものがいないということだ。ロン・ポール、Dennis Kucinich, あるいはサラ・ペーリンに任すことができるだろうか。

能力主義というものの、理に反した特性としかいいようがない。

システムが複雑になるならば、エリートたちはどれだけ失敗しても、権限を失うことはないのだ。危機が起こるたびに、彼らの権限は増大する。理由は、彼らが作り出した複雑なシステムを十分に理解している彼らにしか、その修理は無理のように思われるからだ。

しかし彼らが修繕することでシステムはさらに複雑に集権化され、その結果、次の国家安全保障上の突発事態や、自然災害、経済危機に対して脆弱になってしまうのだ。

最近のポピュリスト的反動や、公的救済は繰り返さないというようなワシントンからの多くの公約にもかかわらず、“Too big to fail”(潰すには大きすぎる)時代の終りにはならないはずなのだ。それどころ、今から始まるのである。(以上)