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市場対国家 ユーロ防衛

今日の新聞を読んでいると、引き続き、ギリシア危機がトップだった。

とりあえず、ギリシア支援という枠組みで検討していたが、市場は、ユーロ各国の足並みが揃わないことと、ユーロの中心であるドイツの国民が、ギリシア支援に対してネガティブな反応をしていることなどを嫌気して、ギリシア、ポルトガル、スペインなど市場で取引されている国債の利回りが高止まり(=債券価格が下落)し,ユーロも弱めに推移した。

現在起こっていることは、2008年に起こったアメリカの金融危機同様、世界経済に大打撃を与える可能性があるという雰囲気が急激に増加した。

横で眺めていた米国も、信用危機の高まりの中で、欧州の銀行がドル資金の調達が困難になるのを回避するために、中央銀行間での通貨スワップ、つまるところ、米国でドル紙幣を印刷して、市場に供給するという動きを行った。これはリーマン・ショックの時に、銀行間信用リスク(カウンターパーティリスク)の高まりによって、流動性が枯渇したという事実を学習した動きである。

それと呼応するように、これまでのギリシア支援という枠組みを一気に、スペイン、ポルトガル支援までが可能になるようにということで、支援金額を総額89兆円にまで拡大した。

さらには、欧州中央銀行が主導して、ユーロ各国の中央銀行が、ユーロ圏の国債(おそらくはギリシア、ポルトガル、スペイン)の買入を行い始めた。

これは、中央銀行の中立性という観点からは、かなり本道を外れた動きだが、それほどに、今回の危機は深いとユーロ圏の政府が判断したということだろう。

こういう時は、市場が予測するような普通の動きではダメで、市場をガツンと驚かすような金融政策実行が必要という考えの表れだ。

米国の個人が借金をしまくって、膨大な消費活動を行うのに支えられてきたグローバル経済が、不動産バブルの崩壊によって、一変に逆サイクルに陥った。その後、GDPの落ち込みを回避するために、世界各国で、財政投資が行われた。

その結果、グローバルに国の借金が増加している。

その不安定性が、仕組みとしての不完全性のあるユーロという通貨制度を激しくきしませることになった。

そういう場合は、当然ながら、一番脆弱な部分にひびが入る。

輸出できる原材料もなく、貿易、観光以外に見るべき産業がなく、しかもつつましくなく、海外からの借入によって膨大な公共セクターの赤字を補填していたギリシアという国が当然崩壊した。

しかし市場は、アイスランドも、アイルランドも、ギリシアも、そして英国も、日本も程度の違いで皆同じだと暴力的な攻撃を行っている。特に公的債務残高のGDP比率が218.6%とグローバルにも圧倒的に高い日本などは、盛んに市場あたりから狙われることになる。(米国 84.8%、英国 68.7%)

日本破綻のような考え方に対しては、日本の国債の94.8%が国内で消化されているので、ギリシアのように海外からの借入に依存していないから大丈夫という主張がなされる。

これに対しては、少子高齢化で、団塊世代の人々が、預金を取崩し始めれば、それに対応して、国債を保有していた郵貯や銀行が市場で換金を始るので、どこかで、海外からの資金を必要とするようになるというような反論もなされる。

このあたりは、もう少し、自分の頭で良く考えないと腑に落ちないところではある。特に、日本人の金が、国外に行って、海外投資家という形で戻ってくる可能性などを含めると、どうも頭の中がすっきりとは整理できない。

実際には、こういった程度の違いがとても重要なのだが、市場が加速するときには、そういった細かい綾はどうでもよくなる。

そういった暴力的な動きには、暴力的な対応しかないという、今回のユーロ防衛策に一面の真理はある。

ただし、今回の救済オペレーションでまた国の財政は悪化するわけで、今回は、いいけど、Root Cause(根本原因)は完治していないと、ふたたびどこかで市場の襲撃が起こることになるんだろう。

グローバル経済というものには、本質的にこういった不安定性が内包されているようなのだ。