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内田樹さんの「労働」観

ここ数年、とても影響を受けている書き手がいる。

内田樹さんという神戸女学院大学という関西でも有数の有名校のフランス語の先生である。

ただ、最近は、内田樹の研究室という超人気ブログをテコに大量で、重要な本を出版している。

「日本辺境論」という新書が今年の新書ベストワンか何かに選ばれていた。

その内田さんの今日のブログのお題は「労働」だ。

社会人の人材教育ということには少々縁のあるぼくにも関係のある重要なことが書かれていた。

大学の2,3年生に対してのスピーチ。

「就活についてはまだ不安だけという学年だけれど、バイトの経験はあるし、キャリアパスのための資格や免状のための科目はすでに履修しているし、セカンドスクールにも通っているものもいるから、「働く」ことについて漠然とした先入観は有している。

けれども、彼女たちの抱いている労働観は家庭教育とこれまでの学校教育の過程でずいぶん歪められている。

彼女たちは「ワーク」を「競争」のスキームでとらえている。
閉じられた同学齢集団内部で相対的な優劣を競うことが「ワークする」ことだと思い込んでいる。

そう教えられて二十歳近くまでやってきた彼女たちには、社会に出てから後は「ワークする」ことの意味が違ってくるという消息がうまく呑み込めない。

「働くとはどういうことか」について、原理的な話をする。
競争や消費は個人単位での活動だが、労働はそうではない。
労働は原理的に集団で行うものである。

労働においては、努力とその報酬が「個人単位」ではなく、「集団単位」で考量される。

だから「仕事ができる人」というのは、「個人的に能力の高い人」のことではなく、「集団のパフォーマンスを向上させることのできる人」を指す。

端的に言えば「他者に贈与できる人間」のことを指す。
その理路を学生たちに縷々説き聞かせる(むずかしいけどね)。」

このあとも、彼が「日本の論点」に書いた内容を再録しているので、是非、全文読んでください。

http://blog.tatsuru.com/

「仕事ができる人は、集団のパフォーマンスを向上させることのできる人」

まさにそのとおりだと思う。人間が生きていくために、労働や、与えるということがとても大切なのは何故かということは、このあたりのことが腑に落ちないと理解できない。

そしてこういったことがわかるには一定の時間と経験が必要なのである。

だから、わかったと思った人間は、感謝されなくても、言挙げしなければならない。

なぜなら、感謝はされないけれど、どこかで、集団のパフォーマンスを上げる可能性があるからだ。