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「日本人が日章丸事件の意義を思い出す時は今」ヘラルド・トリビューン

広島に設立された国連訓練調査研究所(UNITAR)のシニアアドバイザーのNassrine Azimiさんが、ヘラルド・トリビューンに、今こそ、日本がイラン問題解決に国際的役割を果たすことができるタイミングだというコラムを掲載している。

ヘラルド・トリビューンに、このタイミングで、日本に対する期待が英文で発表されるということの意味は何か。

字義通りに、心あるイラン国民からの日本への期待なのかもしれない。
素直に読めば、対米の盲目の従属の中で、失われていった、日本の歴史の持つ外交的価値というものを忘れてはならない。過去というものは、良し悪しにかかわらず、目を背けてはいけないものなのだ。自分たちの過去を軽々と忘却する日本人に対して、その誇るべき過去を忘却することなく、今、国際社会に貢献することができることが、日本の責任だと主張している。

しかし、なぜこの時期に、英字紙に発表されているということなどを深読みすると、イスラエルとの関係でデッドロックに入りかけているイラン問題に対する米国からの迂回したメッセージかも知れないと思った。

いずれにせよ、素人の深読みに過ぎない。

少し、その論旨を追ってみる。

Japan's Iran Moment
http://www.nytimes.com/2010/02/18/opinion/18iht-edazimi.html?ref=global&pagewanted=print

1953年4月に、イギリスに逆らって、日本の石油タンカー日章丸がイラン南部のアバダン港を船一杯に原油を搭載して出航した。タンカーの所有者は、出光だった。出光は、当時、イラン石油をあえて買おうとする一握りの企業の中の一社だった。当時と言えば、その2年前にイラン人が石油産業を国営化し、アングロイラニアン石油会社(後のBP)がそれに対する抗争をおこなっていた頃だった。
http://www.idemitsu.co.jp/company/manage/history/4.html

出光のトップは、出光佐三という伝説的実業家で、この取引で大きな利益をあげることになった。彼は現金に困っているイランに対して市場価格の30%以下で原油を買い付けたのだ。彼は、イラン人を助けると同時に、壊滅的な対米戦争とその後7年間に及ぶアメリカの占領の影からようやく抜け出した日本人の心にプライドを与えることにもなった。出光の行為は日本政府によっても非難されたが、イラン、日本の両国の人々から賞賛されることになった。

出光が生まれた九州の門司という港湾都市の小さな元倉庫に、彼の名前を社名にする会社が日章丸事件の写真や映像などの展示を行なっている。展示物の中には、アバダン港を出航するタンカーを喝采している見送るイラン人の白黒映像や、晴れやかな笑顔で、大きなファンファーレのなか、到着するタンカーを迎える日本人の姿が展示されている。

日本とイランの間の絆は、1960年代や70年代の初めに深まることになった。今日でも、日本はいまだにその石油輸入に関してかなりの部分をイランに依存している。(2009年の日本の輸入の約12%)だが、両国の関係は1979年のイスラム革命以来、どっちつかずの状態になっている。
しかしながら、文化的、学術的関係は継続している。日本に居住するイラン人の数が7000名以下で、イランに居住する日本人の数がその10分の1にもかかわらずこの紐帯は続いているのだ。2006年に、東京都美術館で「ペルシアの栄光」という大展示会が開催され、その後、日本中で開催されたのも記憶に新しい。ノーベル賞を受賞したイラン人のShirin Ebadiは日本の女性たちにとって賞賛される模範となっている。そして昨年、29歳の日本で働いているイラン人エンジニアのShirin Nezammafiは日本語で初めて書いた小説で、一流の文学賞(第108回文学界新人賞受賞 「白い紙」)を受賞した。彼女は、この賞を受賞した二番目の外国人である。

イランに対する日本人の姿勢は、昨年6月のイラン大統領選挙以降変わってきている。政府軍の棍棒や銃弾に対抗して緑色のはちまきをして戦う若いイラン人の映像が政治的にはおとなしい日本の若者たちにとりわけショックを与えた。昨年の7月、8月、そして12月に通常は慎重な外務省によって発表された簡潔な2パラグラフの声明の中には、テヘランにおける政府の迫害に対する懸念や遺憾の念が含まれることになった。こういった迫害の中には、日本大使館のイラン人スタッフに対するものも含まれていたのである。その声明文ではさらに、政府と国民の乖離について平和的解決を望むという内容が盛り込まれた。イランの核交渉の総責任者である最高安全保障委員会(SNSC)事務局長のSaeed Jaliliが12月に日本を訪問した際、関係の冷たさは明らかだった。

日本は今こそ、長年イラン人が日本に対して持ち続けてきた信頼と親愛を、イラン国内の混乱の平和的な解決のために使うべきなのだ。その際に、日本政府は、イラン周辺を騒がしている核問題の一部が、国内問題を封じ込めようとする現体制の試みであるということを理解する必要がある。日本のアフガニスタンでの活動を支援するためにもイランが必要なのだ。この国は、アフガニスタンから、多くの信頼を勝ち得、多くの資金も投下している。この観点から、日本政府は少なくとも二つの方法で賭けにでることができる。

第一に、鳩山政権は、イランの人権問題について特別代表を任命すべきだ。議会も、内部的な小競り合いを一旦やめて、イランにおける事態の展開をモニターし、人権に関する普遍的な規範の遵守などを含む、多くの論点について、イランの国会議員に対してアプローチするために超党派の委員会を形成すべきだ。

第二に、日本は国連外交のためにより積極的な役割を果たすべきだ。その中には、刑務所の公開などについてイラン政府が協力になることが、彼らにとっても最良の選択であるということをイ説得する一方で、国連の人権監督官のイラン訪問をすすめることなどが含まれる。

同時に、こういった外交努力の中で、日本はアジアに焦点を絞るべきだ。アジアには、イランの経済的利益の大部分が存在している。日本政府は、インドネシア、インド、トルコ、さらには中国と韓国などのようにイランに対して経済的利害を有する国々で構成されるアジア連合を形成し、イランに対してプレッシャーをかける努力を行うべきだ。

韓国政府と日本政府の関係改善と、両国がイランに対して多くの共通の利害があることから考えれば、こういった連携活動の現実味は増すことになる。直近で、EUを抜いてイラン最大の貿易パートナーに躍り出た中国とこういった連携はありえないように思われるかもしれない。しかし中国政府の存在感がどんどん増している中で、アジアのもっとも抑圧的体制である、北朝鮮ミャンマー、そしてイランなどと共謀していると見られることに対して北京はかなり敏感になってきている

イランは経済的関係と国際的正統性を切望している。こういった環境下では、自国が植民地になった経験のない(誇り高い)テヘラン政府であってもアジアのパートナー諸国のこういった努力を簡単に国内干渉の一言で片付けるのは困難なのだ。こういった活動を通じて、アジア諸国は、「アジア的価値」という言葉が大きな商業契約以外の意味もあるということを国際社会に対して示すことができるのだ。

イランには、若く、教育水準の高い国民がいて、天然ガスや石油資源なども豊富に有し、長い歴史を持ち、経験豊富なビジネス階層が存在し、さらには海外に300万人の人々が散らばっている。こういったイランとの関係によって、アジアの西側に安定性がもたらされ、大陸全体の発展にプラスの影響を与えることができるのだ。

日本政府は、イラン人が日本に対して持ち続けている信頼と親愛に基づいて、より大きな取組を行う勇気を持たねばならない。さらには、この努力の過程で、日本もイランも、イラン国内の切迫したインフラニーズや技術ニーズへの対応から多くの経済的利益を得ることが可能になるはずだ。

日本に原理原則に基づいた行動を行うことが可能だ。そして出光がかつて同胞に思い出させたように、長期的に見て、歴史の正しい側に立つために、短期的なリスクを取ることが、ビジネス的にも大きな意味があることを思い出すべきである。(以上)