21世紀ラジオ (Radio@21)

何かと気になって仕方のないこと (@R21ADIO)

地下鉄で読むヘラルド・トリビューン

情報収集という観点からのツイッターを使い続けてきた。しかし、圧倒的な便利さのように感じられたものが、少しずつ、結局、自分の鏡でしかなく、フォロワーをどんどん広げるというドライブも失せてきたり、TLをスクロールして、Moreのボタンを押して待つのにうんざりとしはじめることになる。140字という瞬発性も、裏返しの表層性が目につきはじめる。

もともと情報収集という観点が強いので、あたりまえのことだが、リアルタイムの情報収集より、それをじっくりと自分の頭の中で考えてみる時間が不可欠になってくる。

すると、今度は、ウェブのニュースサイトや原資料、そして読書などとデジタルの時間軸を遡ることになる。

最近は、地下鉄の中や、喫茶店で、赤ペン引きながら読むヘラルド・トリビューンというのが、かなり生産的なメディアになっている。

キオスクで買ったヘラルド・トリビューンを地下鉄の中で読みやすいように折りたたむと、先ず、新聞のなかごろにある論説ページを開く。そしてそこをじっくりと読む。その後、時間があれば、第一面などに戻り、第二面へ向う。

時間の制約の中で何を読むかという判断はなかなか難しいので、ルールとして、とりあえず、論説のページを読むようにしている。その時々にハイライトされている論点について、新聞や、外部の論客の意見が掲載される。

前に、訳した、ジョセフ・ナイや、Ikenberyなど、米国の外交政策に影響を与える学者たちのコラムもここで見つけた。あとは、トマス・フリードマンとか、ポール・クルーグマンなどの名物コラム。

日本の新聞でほとんどカバーされていない記事も多い。とりわけ紙面のかなりの部分を占めている中東情勢の分析。このあたりは丹念に読み解いていかないと、「追随する」にも追随する相手が理解できなくなる。

ジャーナリズム危機が叫ばれるけれど、読者は必要だと思ったものにはお金を払う。ぼくも、4つばかり英語圏の有料サービスを利用しているし、iPodがぼくのラジオになってからは、購読にお金を払ってもいいと思うPodcastも生まれてきている。

でも、最近は、とみに、日本の新聞に対するお金を払いたくないと思うようになってきた。ましてや、そんな新聞の優良サイトなど。

インターネットのせいでもなんでもなく、読みたいコンテンツと読む価値もないコンテンツがあるだけだ。


今日のコメンタリーでは、David BrooksのThe Lean Yearsという米国労働市場の現状についてのコラムが面白い。今回の金融危機で、もっとも、あおりを食っているのが、米国男性労働者層という指摘。史上初めて、労働市場における女性労働者の数が男性を上まったらしい。特に、若年男性がもっともダメージを被っているという。さらに就職したときが好景気か不景気かで、年収に明確な差が生まれるという統計分析のことや、社会資本(社会的絆)の有無が、不況期の社会の強靭さを決定するという内容。

こういった労働市場が、Tea Party現象などに繋がり、米国の外交政策をグラスルーツ的に左右しはじめるのだろう。

米中のレトリック戦争が最近また激化しているが、これは、まあ一種の循環性の中で冷静にとらえるべきものだとしても、お互いが、お互いの国の不満分子に向けてレトリックを過激化させるというのが、いつもながらだが、残念な風景ではある。

あと気になったのは、米国財務証券の保有残高が中国を抜いて、日本が一位に返り咲いたという記事。

普天間問題、日米同盟問題における日本の貢献については、「カネだけではなく」というのは当然のことながら、出しているカネも巧妙に活用するという日米交渉というのは行われているのだろうか。水面下では、交渉らしい交渉が行われていて、下々にはわからないというのならばまだしも、カネも交渉に効果的に活用していないとしたら、話にもならない。

160円で買ったヘラルド・トリビューンをじっくり見るだけで、ちょっと世の中の見通しがよくなってくるような気もする。