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アメリカ人がトヨタのリコールを許せない理由(?)

ヘラルド・トリビューンを開いたら、さすがに世界のトヨタ。リコールの記事がやたら多い。そんな中で、アメ車なら許せるが、トヨタはまずいというコメントがあった。NYTのMatthew Debordさんのオピニオン。

http://www.nytimes.com/2010/02/06/opinion/06debord.html?ref=opinion

Worldwide, Toyota has already recalled more than nine million vehicles. That’s almost as many cars as were sold in the United States last year. The Chrysler bailout of the late 1970s was bad, the G.M. and Chrysler bankruptcies of 2009 far worse. But neither event radically altered those companies’ core identities, because their brands weren’t built on perfection. Toyota, by contrast, will never be the same again.

(全世界で、トヨタは既に900万台以上のリコールを行なっている。これは昨年の米国の販売台数にほぼ等しい。1970年代後半のクライスラー救済はひどかった。2008年のGMやクライスラの破産は輪をかけて最悪。しかし、こういった事件も、GMやクライスラの企業のコアとなるアイデンティティを揺るがさなかった。というのも、彼ら米国自動車のブランドは完璧さというものに根ざしてなどいなかったからだ。(今回のリコールはそのコアのアイデンティティに影響を与えている。)もはやトヨタは以前のトヨタではない。)

30年前、ぼくは、アメリカでGMオールズモビル、デルタ88という車を運転していた。買った当初からトラブルが多く、高速走行中、突然、エンストして、パワーステアリングをまるで海賊船の舵を取るように全力をあげて回したり、渾身の力でブレーキを踏み込んで、難を逃れたりした。

また、ブロンクスやブルックリンのややこしい場所で夜にエンストして、何度も、正直、生命の危機のような気持ちを味わったものだ。

それでも、修理のあんちゃんの、しょうがないじゃん、アメ車だものという表情に、まあねと受け答えしていた自分が懐かしい。

アメリカ人の所詮車じゃないかという感じがぼくは好きだった。車体がへこんだ車や、窓が割れていて、雨の日には傘をさして運転している奴がいるなど、お笑いアメ車話には事欠かなかった。

だったらトヨタかホンダにすべきだ、と真顔でアメリカ人に言われたのも覚えている。

当時は、ニューヨークに住んでるんだから、ニューヨークジャイアンツを応援するというような気分で、アメリカに住んでいるんだからアメ車に乗るのだとつまらない意地をはっていた。

でも、そんな荒馬乗りのようなことを楽しんでもいた。

そんな世界に、故障もしないし、アフターサービスもいいし、流通市場での値持ちもいいということで、日本車がどんどん参入した。

ぼくが帰国すると、アメリカにもバブルが起こり、たかが車というよりは、高級車ブームのようなものが起こったようだ。欧州車が高級感、日本車が完璧さを引っさげて、米国市場を席巻した。そんな中、アメリカメーカーはどんどん衰退していった。愛国心では相殺できないほどの衰退の道を辿った。

そういったアメリカ人にはこうした諦めや屈折した想いがあるのだろう。

アメリカ人たちは、GMクライスラーに対しては、しょうがないじゃんアメ車だものといって許せるのだろう。

でも、愛国心を抑えつつ、あえて国産じゃないものを選んだのは、君たちが完璧性にコミットするといったからなのだよというのが、アメリカの消費者の本音のところかもしれない。

このあたりの心理が読めないとトヨタも危うい。