21世紀ラジオ (Radio@21)

何かと気になって仕方のないこと (@R21ADIO)

今日のツイッター活動

終日、外出しなかったので、RTも含めて、相当Tweetしたなあ。思いついたことを、140字でまとめておくという知的作業をもっと生産的に活用できないだろうか。いろんなことを考えさせてくれるのがツイッターの面白さだ。


●世界各国で、米国発のテクノロジーが、既存システムを揺るがしている。アメリカのソフトパワー(ジョセフ・ナイ)。しかしテクノロジーには創造者の意図を裏切り、超えていくという狡知が内在。アメリカを強化するのがアメリカの技術であると同時に、それを掘り崩すのも同じ技術。

●グーグル対中国、イラン対ツイッター、そして日本の司法システム、報道システム対ツイッター。テクノロジーというものが既存の政治構造に甚大な影響を及ぼしているのは明らかだ。

ツイッターの相対的な毒のなさが、活発な情報流通を可能にし、一つの力を産み出したこと。そしてツイッター2ちゃんねるとは違い、米国企業に帰属するものであること。今回の権力システムにツイッターが果たした役割と、グーグル対中国の構造が若干かぶって見えた。グローバルな情報構造の複雑さ。

● 鈴木さん、佐藤さん、堀江さんの事件の頃に、ツイッターがあったら、マスコミの動向は変化した可能性があったのかもしれないとWhat IF的に考えてみる。とりわけ、経済事象を裁くことの知的な困難さが、より顕在化したかも知れない。

●ムネオ日記は面白い。鈴木宗男さん、佐藤優さん、堀江貴文さんという一筋縄ではない人たちの声が聞けるということに、少し安心した気持ちになる。バランス感が大切だという観点から。http://ow.ly/14xtP

●RT @sentan: 他者に対する人権への脅威が、そのまま自分の人権への脅威に直結していることに、多くの人は気付くべき 国民はどこにいるのか。国民は誰が護るのか。 - 佐藤栄佐久(前福島県知事) 公式ブログ http://bit.ly/c2DHKj

普天間問題を考えるようになって沖縄の歴史をもっと知らなければならないと思った。E.H.カーの「歴史とは何か」の中の、歴史とは現代を読み解くために過去を経由することだというような言葉の意味をようやく実感。後藤乾一さんの『「沖縄核密約」を背負って;若泉敬の生涯』を読み始めた。 

●録画した「崖の上のポニョ」を見ている。人間になった人魚姫のポニョがとても可愛い。人間の男の子が好きになって、波の上を走ってやってくるポニョ。宮崎さんの描く女の子は本当に可愛い。映画館で見たときは、この可愛さと、海の底の老人たちの深層心理的なきもちの悪さの混在に少々とまどった記憶。

大塚英志東浩紀の「リアルの行方」の中の近代の現状をめぐるどこまでも噛みあわない二人の発言が面白かった。そのことをブログにも書いた。今回のようなことが生じるとたしかに大塚さんのようないまだポストモダンなんて抜かすなという苛立が腑に落ちる。http://bit.ly/bUFh5r

●テレビドラマで繰り返される「赤ひげ」医者のような理想の医者が世の中の普通に努力している医者たちに不要な負担を与えていくようなことが、記者や検察官や場合によっては政治家に加わることは決して、社会全体のすこやかさには繋がらない。過剰に期待もしないし、期待もされないドライな距離感が理想

●「あるべき姿」というのは難しい言葉だ。そこに高みの見物的な、他人への厳しさがこめられるからだ。そういう意味ではなく、もし、自分がその立場にあっても、過剰な義務感がなくてもなんとか機能するような役割というような「一方通行的過剰な厳しさ」とはちがった「あるべき姿」が必要。

●今回の問題を「もし自分だったら」という観点で考えた。記者が記者クラブや、検察の術策に巻き込まれて行くプロセスはよく理解できる。山口、上杉両氏と同じリスクが自分に取れるとも思えない。それもあって気持ちが悪いのだ。過剰な「あるべき論」で大多数の記者を批判するというのもバランスが悪い。

●政治家のあるべき姿を有権者が確認しそれからの逸脱を、選挙、ジャーナリズム、適切な司法プロセスの適切なバランスをによってチェックしなければならない。政治資金規制法を見えないところで形式犯から実質犯へと拡大するのではなく「あるべき姿」からの逆算でガバナンスをかけるという作業が必要。

高木徹さんの「戦争広告代理店」のことが随分RTされている。これは本当に面白い。ユーゴスラビア紛争で小国の側にたった米国広告代理店の情報操作が大国側を追い詰めて行くありさまと米国世論というものの実像を描いた傑作。アフガニスタン問題の本質をえぐった「大仏破壊」とともに文庫化。

●「偽情報であれ一面的情報であれ、大量に繰返し叩き込まれたそれは、事実以上の重みを持って人びとの意見を立場をコントロールしていく。」米原万里「打ちのめされるようなすごい本」(高木徹「戦争広告代理店」への書評)より。

雁屋哲ブログ http://tinyurl.com/yfvecxw 検察のリークに踊らされてなんの証拠もなしに小沢氏の辞職を求める76%の日本人を、ユーゴ紛争の戦争広告代理店と重ね合わせ、「悲しい国だね」と喝破する。心から喝采を送りたい。

●「インターネットを探索している人々は世界の外部に向かって手を広げているつもりでいる。が、その実彼は自分の内面を掘り進んでいる。」(小田嶋隆)口調や言葉遣いへの自分の嗜好でFollow構造を変えていくとTLは自分が映る鏡になっていくようだ。http://bit.ly/7onb2h

●インターネットのせいかどうかはわからないがテレビや新聞が「国民」「世論」「有権者」をかたることに強い違和感を感じるようになった。「声なき声」をかたるのは普遍的に権力的身振りなのだろう。岸信介氏のこの言葉に対応して組成された「声なき声の会」現代版がツイッターということか。

●政治家も検察もマスコミも全て権力。それが繊細に均衡をとりつづけることによってしか、社会のすこやかさは保たれない。今回はいかにもバランスが崩れていた。それをインターネットという新しい情報仲介が暴いた。インターネットも新しい権力になる可能性がある。新しい均衡が常に模索されねばならない

週刊朝日の主張は、つねに「検察は法律に則って公平・公正な捜査を行ってほしい」(山口編集長)ということであると。政治家であれ、一般市民であれ、適正プロセスでしか裁かれるべきではない。 http://bit.ly/ceLwg0

●逆に帰国してから興味が増したアメリカのスポーツはMLB.当時は日本人選手もいなかった。不思議なほどに興味がなかった。野茂が渡米してから、新しい日本人選手の物語が始まった。日本人が米国人に認められていくことへの快感。隠蔽された劣等感が浮上する際になぞられるアメリカンドリーム。

●録画したNFLの準決勝を見ている。米国を離れて急激に興味がなくなったスポーツ。当時あれだけ熱中したのが嘘のようだ。湾岸戦争時のスーパーボール。ホイットニー・ヒューストンの国歌への坩堝の中のような熱狂。ゲームとしての面白さに変わりはない。それほどアメリカという土地に直結しているのか